半田商工会議所 - HANDA BIZ WEB
HOME > 会員トピックス - ひと
 

会員トピックス - ひと


 

■衣浦港とともに

2014/01/27(月)

 
半田港運株式会社 代表取締役社長 浅野 皇氏
 
 がっちりした体躯、日に焼けた顔、高らかな笑い声……港で働く男のイメージをそう描く人が多いだろう。だが氏は物静かな口調で、やわらかな微笑み、オフィスでテキパキと仕事をする人のように見える。
 「入社したころは社風と合わないと言われ、今でもそう思われることもありますが、これでも若いころは船内で作業員と一緒に荷役作業もやり、体力には自信を持っていました。その後、見た目と違っていたと言われるようになりました。入社以来地道に一生懸命、与えられた仕事をこなしてきただけだと思います」
 入社した昭和54年当時、同社の原木の取扱い貨物量は80万立米(最盛期は120万立米)で、衣浦港は活気を呈していた。亀崎にあった衣浦貯木場に配属され、原木の保管や出庫業務に明け暮れた。その後、穀類(主にトウモロコシ)の営業担当者として貿易商社や税関などの監督官庁との対応、新規貨物船の開拓、荷役作業、輸出入に係る通関業務などに関わった。様々な仕事を経て、現職に就いたのは平成24年5月。7代目社長として陣頭指揮を執る日が始まった。
 「昭和17年、港湾運送業等統制令によって衣浦港湾内の海運業者23社を統合して衣ヶ浦港運梶i昭和21年半田港運鰍ニ改称)として発足しました。平成24年には創立70周年という大きな節目を迎えましたが、当社には多くの人の熱い想いが詰まっています。その想いに応えるためにも、会社の健全経営とともに衣浦港の発展に寄与し、次の世代に健全な形でバトンタッチすることが私の使命だと思っています」
 23社の人々と歴代の社長が築き上げてきた同社への想い、その重責を担いながら、責任をあまり気にせずやっていくという持論が交差し、ジレンマになっているという。
 「将来の衣浦港を見据えた時、新たなビジョンを持って展開していかなければいけないと思う反面、大胆な勝負に打って出るということがなかなか出来ない感覚になっています。若い時は当時の上役に言いたい放題言っていましたが(笑)。従業員やその家族のことを考えると、どうしても保守的になってしまいますね」
 と語るが、社内では『一本芯が通っている。決めたことは徹底して実行する。部下を育てることが上手』と、その手腕は高く評価されている。同社の仕事の性格上、社内で働く人と現場で働く人の役割分担が明確になっていて、人間関係の調整は大きな課題となっている。かつて現場や営業時代に、何度もその難しさに突き当たった。その体験からも社員教育に力を注ぎ、次代を担う若者たちに寄せる期待も大きい。
 「他人からずるいと評価を受ける人間にはなるな!と説いています。私自身、心の奥底で少しでも楽をしたい、怠けたいと思う自分がいます。だからこそ、人からそう評価されないよう自らを律することだと心しています。これから会社を担う若い人も自分と闘いながら、『衣浦港を通じて地域社会に貢献する総合物流企業』を目指して頑張って欲しいと願っています」
 現職に就いて1年9か月。業界の役職を数多く務め多忙な日を送る。その数は衣浦港で同社が重要な位置を占めている現れであるが、過酷なスケジュールに追われることは否めない。
 「ストレスを溜めないように生活をすることをいつも考え心がけています。きっと、もともと小心者で人一倍ストレスを感じるんでしょうね(笑)。でもそう見せたくなくて自分と闘っています。学生時代はバスケット、テニス、スキーをやっていましたが、今はスポーツとしてゴルフを楽しんでいます。予定の無い休日は何もせずボーッとしていることが多いですね。もともと出不精なんですよ。今は仕事一筋の毎日で、他のことは適当にやっています(笑)」
 仕事に真摯に向き合う。それは仕事を天職と思い、使命に燃えた人の姿勢でもあるようだ。



あさの・こう氏 プロフィール
 昭和30年半田市生まれ。父の仕事の都合で、幼少期を南知多町豊浜で過ごす。中学2年生から半田市に転居。53年京都産業大学法学部法律学科卒業。54年半田港運(株)入社。平成24年現職。当所常議員。当所交通運輸港湾部会部会長。半田市住吉町に夫人と在住(長女、長男は独立、二男は京都で大学生活)。
 

 前のページへ戻る
 TOPページへ戻る

 

最新の情報


カレンダー選択



情報キーワード検索



トピックス選択

 はんだの元気印企業
 とーくさろん
 ひと
 会員情報かわら版