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■楽しみは子どもたちの笑顔

2016/01/26(火)

 
名古屋鉄道株式会社知多半田駅 駅長 山崎一公氏
 
 豊かな自然の宝庫、えびの高原(宮崎県)を背景にSLが白煙を吐き疾走していた。その勇姿を見て育ち、いつの間にか電車の運転士になることを夢みた。昭和43年、えびの地震に遭い故郷を後にし、名古屋、半田に居を移したが、その想いは変わらなかった。名古屋鉄道の入社は夢の第一歩だった。
 「研修先の名鉄バスの車掌から始まり、6年半後に名鉄電車の運転士見習いとして乗務しました。その後一人立ちし、最初にハンドルを握った時の緊張感は、今も鮮明に覚えています。夢が叶った嬉しさは人一倍でしたが、お客さまの命と財産を預かっているという不安も大きかったですね」
 当時は速度計が設置されていない電車もあり、電柱間の距離、景色の流れで速度を読んでの運転だった。安全を第一に日々の訓練により、その勘は鍛えられていった。今も乗客として乗車すると、おおよその速度は分かると言う。
 「当社の代名詞でもあったパノラマカーに乗務した時は感激しました。駅停車中、2階の運転席は舟に乗っているように揺れるのにはびっくりしました。電笛を鳴らして出発し、名古屋駅に入る時はミュージックホーンを鳴らす、とても気持ちが良かったですよ(笑)」
 今もハンドルを握りたいと思う程だと笑うが、平成4年12月、運転士生活に別れを告げ、助役として河和駅勤務となった。そして8年には知多半田駅助役、その1年後、営業主任に就任した。
 「当時は『知多半田駅旅行センター』も構内にありました。そこで商品の企画をし、添乗員として旅のお供をしたり、旅行客として参加したりして、仕事は楽しくやりがいもありました」
 平成16年内海駅駅長を皮切りに、駅長としての職務に就いた。駅を守る責任者として様々な職種に忙殺される中で、一番の楽しみは地元の子どもたちとの交わりだった。年1回、小学生が駅を訪れ地域を学ぶ日には、笑顔で子ども達を迎えた。後日、感想や感謝の言葉が綴られた冊子が送られてきたが、今ではそれが一番の宝物になった。
 「子どもたちの笑顔に接すると、この仕事に就いて良かったとつくづく思います。12月初旬には知多半田駅に野間中学校の生徒さん10名がやってきましたが、子どもと話をするのが大好きな私はとても充実した時間でした。駅への訪問、大歓迎です。一人でも多くのお子さんに名鉄電車を愛していただけたらと思っています」
 昨年7月に現職に就き、再び知多半田駅との縁をスタートさせた。16年ぶりの駅は、観光のまちの窓口としてその役割が大きく変貌していた。先ず駅周辺を歩き、自分の目で見て確かめ、半田の今を体感した。
 「パンフレットだけでは分からないこともあります。実際に歩いて距離感をつかみ、親切丁寧にご案内をすることを駅員にも指導しています。地元に愛されてこその駅ですから、お客さまと笑顔で接しながら、一声かける接客を大切にしています」
 率先して体を動かすことを課し、『歩いて巡回知多四国』のスタッフ時代は自転車、徒歩で道程の確認をした。安全で楽しい時間を過ごしていただきたいという想いからであるが、仕事に対する責任と誇りの証しであるようだ。
 「半田の住民となって40年近く経ちました。地元の祭礼に参加するのも楽しみですが、残念ながら祭礼当日は仕事として赤旗を持って、山車が踏切を通過する時の交通整理係です(笑)。仕事を通しての楽しみも出来ました。旅行センター時代の旅の楽しさが忘れられずに、今では温泉巡りが大好きになりました。仲間と温泉の話に花を咲かせる、至福の時です」
 
 イベントや会議、無人駅の環境美化、施設点検等で席を温める時間もないほど、タイトなスケジュールに追われる日常。フォークソングを聴き、マイクを持って演歌を歌う、心休まる時間。そのオンとオフを上手く使い、今日も安全・安心・安定輸送を願っての一日が始まる。



やまざき・かずひろ氏プロフィール
昭和32年宮崎県えびの市生まれ。名古屋市を経て、47年半田市に転居。51年大同工業高校卒業。同年名古屋鉄道(株)入社。新入社員研修を終えた後、知立自動車営業所、常滑駅を経て53年電車車掌。58年運転士。平成2年教導運転士。4年河和駅助役。16年内海駅駅長、富貴駅・阿久比駅・河和駅の各駅長を経て27年現職。当所議員。 
 

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