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■経験に勝るものなし

2016/09/26(月)

 
日本車輌製造株式会社 輸機・インフラ本部衣浦製作所長兼製造部長 大口健司氏
 
 東京で大学生活を送ったが、長男であったのでいずれは地元に帰ることを視野に入れていた。また、模型製作や今でいうDIYが好きで、モノづくりの世界に関わりたいと考えていた。そこで名古屋に本社を置く同社に入社し、本社の開発部門で社会人としてのスタートを切った。
 「当時は工場内物流のFA(ファクトリーオートメーション)工場の省力化・無人化導入が積極的に展開されており、無人搬送車のセンサーの開発に関わりました。最大で50トンの工場製品を運ぶ車両設備の導入を担当しましたが、通常作業を中断させない、耐久性を重要視することを念頭に置いた業務でした。当社は比較的おおらかな社風であり、自由な発想を後押ししてくれたのは有り難かったですね。最近、当時納めた車両の引退式があったと聞きましたが、20年以上に亘って長年稼働していた製品に携われたことは、技術者として喜ばしいことです」
 その後、豊川製作所で輸送用車両の製作に携わった。最初の1年目は設計部門で、以後は製造部門で、モノを作るという憧れの世界での仕事にやりがいを感じた日々を送った。
 「街中を自家用車で走っていると、自分が関わった車両が目に留まり気にかかります。モノづくりのやりがいや楽しさはこんな所にもあるでしょうね。私は何事も経験に勝るものはないと考えています。仕事面では、幸運にも入社6年目から10年目までの間に、インドネシアでスーパーバイザー(SV)として延べ15ヶ月ほど仕事をしました。通常、会社内では縦割りの各セクションで仕事をしますが、そこでは必然的に1から10まで関わることになります。会社内でいうプロジェクトリーダーのような経験を、若い時期に経験できたことでモノづくりのベースが培われたように思っています。また、日本人は『阿吽の呼吸』で仕事をしていくことも多々ありますが、所変わればそれが通じないことも目の当たりにし、文化の違いを肌で感じたこともありました。その貴重な経験が今に大きく活きています。その時期がなかったら、仕事の仕方も変わっていたのではないかと思うほどです」
 1年前に現職に就き、新たなスタートを切ったが、橋梁製造の現場で飛び交う専門用語に苦労したと言う。 「安全第一で仕事を進めています。当社の製作所は衣浦、豊川、鳴海にあります。今までその3製作所間での人材交流はあまりなかったのですが、現在は入社10年未満の社員を対象に、積極的なローテーションを実施しようとする動きが始まりました。専門性が高いのは重要なことですが、自分に適した仕事を見極める時間があってもいいのではないかと感じています。色々なことを経験することは重要なことです」
 橋梁という全く初めての世界は、見るもの聞くもの新鮮で、やりがいという大きな意欲を持ったが、また、私生活でも大きな変化があった。豊川勤務時代は会社と自宅まで自転車で15分の距離で、思う存分仕事をして帰宅した。しかし今では往復3時間という道のりとなり、仕事や時間の使い方に苦慮した。
 「その結果、時間の使い方がシビアになったような気がします。通勤時間は仕事と私生活との切替え時間で、車の中では自分だけの時間を過ごせます。そう思うとその長さも気になりません。元々、会社では仕事のことだけを考え、休日は仕事のことを忘れて自分の時間を楽しむ方針ですが、なかなかそうはいかないこともあります。そんな中での楽しみは、映画鑑賞と時々行くゴルフですね」
 
 今年、同社は創立120周年(衣浦製作所は41周年)を迎えた。『産業の高度化と社会資本の充実に役立つ製品を提供し、より豊かな人間環境づくりをめざします』という企業理念に基づき、インフラストラクチャー創造企業として進化を続けている。インドネシアでのSV時代に培った、当たり前のことを当たり前にできることの大切さと、モノづくりにはコミュニュケーションも重要という『経験』を武器に、所長として日々進化を続ける。


おおぐち・けんじ氏略歴
昭和43年三重県桑名市生まれ。平成3年日本大学理工学部卒業。同年日本車輌製造(株)入社。開発本部(本社)配属。7年豊川製作所、27年同輸機・インフラ本部の製造部長を経て、現職。当所常議員。豊川市在住。



 

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