
大震災から二周年を迎えた三月十一日、私は一本の映画を観た。
『遺体―明日への十日間』(製作フジテレビ)である。原作はノンフィクション作家の石井光太氏、監督・脚本は『踊る大捜査線』や『誰も守ってくれない』などの作品で知られる君塚良一氏だ。
舞台は、大津波で壊滅的打撃を受けた岩手県釜石市の廃校になっていた中学校。その体育館に津波で亡くなった無惨な遺体が次々と運び込まれて来る。映画は、この体育館の中で繰り広げられる人間ドラマを描いたものだ。
圧倒的な泥と水がこの映画の特徴だ。運び込まれる遺体の口から泥水が溢れ出てくる。その遺体を清める水もない。体育館には、愛する人を探す家族が次々と訪れる。
泥だらけの遺体に誰もが立ち尽くす。しかし、それでも無惨な遺体を見続けなければならない。やがて発見される変わり果てた肉親。われを失い、取り乱す人、ただ茫然とする人、こらえきれず号泣する人……さまざまな姿が映し出される。
主役の西田敏行は、かつて葬儀社に勤めていた経験を持つ民生委員を演じている。願い出て、ボランティアとして、その体育館で働いている。彼の目を通して、そのようすが克明に描かれるのである。
尊厳をもって亡骸(なきがら)に接し、悼もうとする西田が演じる民生委員。彼は遺体に語りかける。
「つらかったねえ。痛かったねえ……。すぐ家族が迎えにきてくれるから、少しの間だけ我慢してね……」
まるで生きている人と話しているようなその行動が、体育館で遺体の世話をする市の職員たちに広がっていく。
人間は極限の哀しみに遭遇した時、どうなるのか。そして、愛する人にどう接し、どう見送るのか。その懸命な人々の姿が、映画館の中を嗚咽(おえつ)に包み込んでいた。これまで私は、あれほど涙に覆われた映画館を経験したことがない。
なぜ、人々はこれほど感動したのだろうか。それは、この映画が“実話”であるからだろう。地震発生と共に現地を目指した原作者の石井氏は、この釜石市の中学の体育館で繰り広げられたドラマを実際に目撃し、取材し、そしてノンフィクション作品としてこれを書き切った。そこには創り物にはない人々の息遣いがあった。「真実」が語りかけてくる衝撃と感動を超えるものはない、と私は思っている。
懸命に遺体に語りかけ、失われた命の尊厳を守ろうとする心、愛する者を亡くした人の哀しみを思いやる温かさ、日本人が持つ死生観……そのすべてに、観る人が魂を揺さぶられたのだろうと思う。
震災で亡くなった一万九千人余の犠牲者には、その数だけの喜びと哀しみ、そして人生の物語があった。そのことを震災二周年に、私はまた思い出させてもらった。
昨年十一月、私自身も、大震災の時に福島第一原発で起こった事故に命をかけて立ち向かった人々の姿を描いた『死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)を上梓した。お蔭さまでベストセラーとなり、多くの方に手にとってもらっている。この作品によって、あの未曾有の悲劇に遭遇した人々の毅然とした生きざまを、私自身も少しはお伝えできたかもしれないと思っている。
後世に「そこにあった真実」をどう伝えるか。ジャーナリストとして、その使命の重さを以前にも増して感じる今日この頃である。
ノンフィクション作家 門田隆将
(かどた・りゅうしょう プロフィール)
1958年高知県出身。中央大学法学部卒業後、新潮社入社。週刊新潮記者、デスク、副部長などを経て、2008年ノンフィクション作家として独立。事件、司法、歴史、スポーツなど幅広いジャンルで活躍。「甲子園への遺言」「なぜ君は絶望と闘えたのか」は、テレビドラマになり大きな反響を呼んだ。「この命、義に捧ぐ─台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」で第19回山本七平賞を受賞。昨年は、「太平洋戦争 最後の証言」(小学館)シリーズを完成させた。最新刊の「死の淵を見た男─吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」(PHP)が現在、ベストセラーに。