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オピニオンHANDA ゲッポウ巻頭コラム


今を戦前にしてはならない(平成26年5月号)

2014年4月25日(金)
今を戦前にしてはならない(平成26年5月号)  ここ数年来、日本を覆っている暗雲は、漸く一部では薄日が射してきたようですが、まだまだ重く垂れこめたままです。近隣諸国からの執拗な外圧、国や地方が抱え込んだ途轍もない借金の重圧、いずれは行き詰りそうな年金制度や医療介護制度への不信、そしていつか必ず来る大地震への不安等々、国民の心に重くのしかかっています。政官民あげて先送りを重ねてきた難題の付けが、複雑に絡み合いながら一挙に回ってきています。
とりわけ厄介なのは、少子高齢化による人口の減少が始まった中で、難問の処理に当たらなくてはならないことです。これから30年以内には、日本の人口は1億人を割り、国民の3人に1人は高齢者となることが確実視されています。
 そこでこの先30年を見据えて、日本はどうしたらよいのか大局的に考えてみましょう。
 至上命令は、戦争の回避です。その昔、「白い猫でも黒い猫でもネズミを捕るのが良い猫だ」という名言を吐いて、中国を市場経済化に導いた百戦錬磨の?小平は、韜光養晦という言葉を用いて国力が充実するまでの時間稼ぎをし、東シナ海への進出を先送りしました。流石は孫子を産んだ国だけに、彼我の力量を知るという基本を熟知しています。それで今まさに、彼我の力は逆転したとの判断のもとに、尖閣諸島に触手を伸ばしはじめたのです。今や日本の方が、?小平に学ぶべき立場になっています。これまでのように、感情論や観念論的思考に支配されることなく、現実を直視した戦略的対応が重要です。
 注意すべきは、昔も今も浅薄で的外れなものが混在しているマスメディアの論調です。その一つが安倍首相の言動は右寄りであり、それは戦争に繋がるというものです。振子の運動に見立てて、戦前は右に振れ、戦後は左に振れ、今また右に振れているから、これは戦前と同様に戦争に繋がるという全く奇妙な論議です。戦争は彼らのいう右傾化とか左傾化とは関係なく起こります。これは世界の歴史を見れば明らかです。戦争の必須の条件は相手があることであり、自らは戦争をする気など全くなくても、相手が仕掛けてくれば戦争は始まるのです。
 右傾化と言われている目の前のこの現象は、先哲が指摘しているように、振子運動より螺旋運動のイメージで捉えるべきものなのです。(ベルクソン「道徳と宗教の二つの源泉」)螺旋上を左下に沈んで行っていたのを、右上の方向に転換しているのです。しかし、もっと大きな違いは、軍事的なパワーのベクトルが、戦前は日本から大陸の方へ向いていたのに、今は逆に大陸側から日本の方に向いているということです。だからそれに備えて守りを固めることは国家として当然のことなのです。
 中共政権とその軍部は、彼らが権力を掌握している限りは、必ず尖閣諸島の武力での奪取を仕掛けてくるでしょう。これは過去数十年来の彼らの動きを見れば明らかです。今は虎視眈々と絶好の機会を窺がっている状況です。もしも先制攻撃されれば、今の自衛隊では防ぎ切れないでしょう。何故なら、古今東西これほど手枷足枷を嵌められている軍隊はないこと、それに首相はもとより隊員が誰一人として戦争体験がなく、言わば全員が初陣であること、この少なくとも二つの大きな欠点を抱えた自衛隊が勝つのは難事中の難事だからです。
 日米安保条約があるから大丈夫だろうと思うのは大甘です。アメリカはアメリカの国益を優先して判断するのであり、他国の無人島のために戦うのかどうか、その時までわからないのです。そればかりか、仮にアメリカの支援を得て反撃し、敵軍を駆逐できても、今度はアメリカから莫大な戦費負担を迫られるのは必定です。あの湾岸戦争のときでさえ、巨額な金員を払わされたことを忘れてはなりません。
 このように、戦争をして負ければ地獄を見ることになり、最悪の場合はチベットやウイグルの人たちの二の舞となります。また勝ったとしても忽ち国家財政は破綻の瀬戸際に追い込まれます。どちらに転んでも国家衰亡の道を歩むことになるのは必定です。だから絶対に戦争を避けなければならないのです。
 守りを固めることこそ喫緊の要事であり、経済を再生して国家財政を改善し、食料やエネルギー資源の確保を図り、移民を無制限に受け入れないことはその基本中の基本です。これからも執拗に続くであろう挑発に絶対乗ることなく、ひたすら国力の充実に邁進することです。


半田商工会議所 副会頭 筒井保司(税理士法人経世会 代表社員)


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リスクを恐れるな−新社会人は海外に目を(平成26年4月号)

2014年3月27日(木)
リスクを恐れるな−新社会人は海外に目を(平成26年4月号) ・マスクは世界の常識か
 私たちが生活の中でよくマスクをかけるのが、海外の友人たちには面白いらしい。ときどき繁華街、通勤電車、職場が、マスクで埋め尽くされることがあるのは確かだ。宇宙人のような恰好のマスク姿が日本の日常生活で市民権を得ていることが、友人たちには不思議でたまらない。それがパリはシャルル・ドゴール空港にセントレアからの便が到着し、降りてくる日本人乗客が次から次とマスク姿オンパレードだったりすると、すわ一大事、エイリアンに占領されたかと、居合わせたフランス人たちはギョッとする。伝染病棟や塵埃たちこめる工事現場ならともかく、普通の場所ではマスクが異様にみえるのだ。風邪・花粉症予防に、潔癖な日本人ならではのこの美徳、まだ世界には受け容れられていない。

・鼻はすするのか、かむのか
 今度はその友人たちが鼻水作法の彼此の違いに眉をひそめる。汚いものは体の外に出せというのが西洋流、欧米では妙齢のお嬢様でもこちらが恥ずかしくなるくらい大きな音を立て、人前で"ブロウ"する。英語blowは、強風を起こし唸ってぶっ飛ばして鼻をかむことだ。一方、大音響の鼻かみが不作法とされる日本では"スニッフ"する(鼻をすする)人が多い。電車や職場でこの吸い込み音が聞こえてくると、体の中に汚い鼻水を受け入れて平気なのかと、海外の友人たちは訝しむのだ。以前、邦銀ロンドン支店の英人女性職員が、紳士で大好きな日本の同僚たちだが、会話や食事のときのsniffだけは止めてほしいと語っていた。

・新社会人は内向き?
 マスクに鼻水と、卑近すぎる例を挙げてしまったことをお許し願いたい。世界が狭くなって何でもかでも分かった心算でいても、事ほど左様に相互に理解し合うのは簡単ではない。グローバル化が進み、生活や仕事の隅々まで世界の国々に依存し、その人々と仲良く共存していかなければならないのに、私たちには外国の知識もそれを受け容れる心の準備も少ない。そこで心配なのは、日本の次世代の若者たちが海外に目を向けず、相互理解にそっぽを向いているのではないか、ということだ。"ゆとり教育"の成果で、20代前半の諸君は真面目で、堅実で、合理的だが ― 多少誇張があるにせよ ― 欲が無く、恋愛に興味なく、旅に出ず、休日は自宅で過ごし、"コス・パ"重視で無駄遣いせず、気の合わない人と付き合わず、リスク回避に敏感で、安全・清潔に、小さく生きることに喜びを感じる"父ちゃんぼうや"なのだと云う。

・大事な無駄やリスク
 あな嘆かわしや!そんな若者を育てたのは我々50―60代の親たちなのだ。自分のためにも、世のため人のためにも、無駄で割に合わないことをすることの大切さ、冒険してリスクをとることの大切さ、そこから文化、創造性、ダイナミズムが生まれ、経済や国が繁栄していくことを、きちんと伝えることが出来なかった。だが今からでも遅くない。春は、新社会人のスタートだ。次世代を担う若者には、一旦内向きの考えを脇に置いてもらって、世界に目を向け異なる人たちを理解していくこと、ここぞと云うときはリスクをとり大きく背伸びすることを、叩き込んでほしいものだ。企業教育が、日本の将来の最後の砦になるかもしれない。


総合研究開発機構(NIRA)理事 加藤 普

(かとう・ひろし プロフィール)
1953年秋田県生まれ。76年東京大学(教養学部教養学科)卒業。東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)入行。海外はディジョン大学(仏)に遊び、パリ(二回)、モントリオール、ホーチミン(サイゴン)、テヘランに駐在した他、世界50数カ国を訪ねる。銀行退職後、中近東での経験を『イラン通信』としてまとめた。家族は妻と2男2女2孫。07年から現職。


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人を中心においた組織編成で全員の知恵を結集する経営を目指す(平成26年3月号)

2014年2月26日(水)
人を中心においた組織編成で全員の知恵を結集する経営を目指す(平成26年3月号)  一人の人間でできることには限界がある。例えば、道を塞いでいる大きな石を動かすにも数人の人が力を合せることが必要である。数人で創業したばかりの企業も同じである。全員が社長の考えていることを共有し、社長も全員が何を考えているかを理解している。社員同士も細かな分業を意識しないで、互いにカバーしあって行動している。その意味では、企業は人の集まりであり、人を中心に置いた組織編成であるということができる。
 しかし、企業には職務の体系という側面もある。特に組織の規模が大きくなると、社長が直接各人にその都度指示をだすことはできなくなる。予め各人の分担と指揮命令系統を決めておくことが必要になる。こういう意味では、組織は職務の体系である。
 日本企業に多くみられる特徴は大企業になっても人を中心においた組織という色彩が強いのに対して、アメリカ企業では職務の集合としての組織の色彩が強い。
 職務を中心に置いた組織編成では、それぞれの職務が明確に定義され、モジュールに分割されて、そのモジュールを組み合わせて全体の組織が編成されることになる。職務のモジュールに合わせて人を割り当てるのである。職務が明確に定義されているから、モジュールが重なり合うことはない。それぞれのモジュールが予め割り当てられた責任を果たしていれば、それで予定調和的に全体がうまくいくという考え方である。
 人を中心に置く組織編成の場合でも、職務の定義は必要である。但し、職務を中心に置く場合よりも、その定義はあいまいであってよい。人に職務を割り当てるので、分割されたモジュールに隙間があったとしても、人がそれを埋めることが期待される。むしろ職務の定義があいまいであるほうが、人は割り当てられた狭い意味の職務範囲を超えて行動するようになる。
 この結果、職務範囲が重なり合い、摩擦が生まれることもあるが、これがなければ技術の相互作用は生まれない。摩擦は技術の相互作用を生むための必要条件であると考えるべきである。ここで、それぞれが自分の庭先を掃くような態度をとればマイナスの効果しかうまれないが、全体最適の考え方が全員に共有されていればこの摩擦はプラスの効果を生む源泉となる。全体最適の考え方は、人を中心とする組織編成によって生まれるものであり、かつこれをプラスに作用させるための条件でもある。
 日本企業に多く見られるもう一つの特徴は、全員の知恵を結集する組織運営である。これは組織編成の原理と密接に関連している。人を中心に置くからこそ、組織運営の局面で全員の知恵を結集しようという発想が自然に生まれる。職務を中心に置く組織編成の場合には、組織運営よりも組織設計により重点が置かれることになるであろう。
 企業の規模が拡大するにしたがって、組織は細かく分割されるようになり、組織間には高い壁ができる。だからこそ全員の知恵を結集するための組織運営の重要性が増してくる。
 日本企業はグローバル化の荒波の中で変化の時代を迎えている。企業は人の集まりであるという日本企業の組織編成の原点に立ち戻り、全員の知恵を結集する経営を目指すことが必要である。

東京理科大学専門職大学院イノベーション研究科 教授 松島 茂

(まつしま・しげる プロフィール)
1949年、東京に生まれる。1973年東京大学法学部卒業。同年通商産業省入省、その後、在ドイツ日本大使館参事官、通商政策局南東アジア大洋州課長、中小企業庁計画課長、大臣官房企画室長、中部通商産業局長を歴任。2001年法政大学経営学部教授、2008年東京理科大学専門職大学院教授。


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安倍政権の今後(平成26年2月号)

2014年1月27日(月)
安倍政権の今後(平成26年2月号)  安倍政権の1年間は、経済政策だけを見れば、大胆な金融緩和政策で経済を好転させたことに尽きる。もちろん、物価が上がって賃金が上がらなければ国民の生活は楽にならないという批判は強い。しかし、雇用は増えており、雇用と賃金を掛け合わせた賃金の支払い総額は増えている。GDPはすべての労働所得とすべての利潤とを足したものであるから、GDPが増えている以上、賃金の支払い総額も利潤も増えているのは当然のことである。こうして雇用が伸びていけば、いずれ人手が不足し、人手を集めるために賃金は上昇を始める。中途半端な段階で賃金が上がるより、働きたい人のすべてが仕事を見出してから上がった方がよい。
 では、長期的にどれだけGDPが増えるのか。フィリップスカーブという関係がある。物価が上がると失業率が低下するという関係である。これによると、物価が目標の2%に上昇していく過程で、失業率は5%から2.5%にまで下落していく(金融緩和前の失業率は4%強だったが、雇用調整助成金で無理やり引き下げられているので、実質5%と評価できる)。失業率が2.5%ポイント低下すると、実質GDPはどれだけ増大するだろうか。
 オークン法則と言われるものがある。失業率の変化と実質GDPの変化の関係を示したものである。日本では、失業率が1%ポイント低下すると実質GDPが3%増えるという関係がある。これによって失業率が2.5%ポイント低下すると実質GDPが7.5%増加する。より慎重に考えて、大胆な金融緩和が、日本の実質GDPを5%拡大するとしよう。
 1990年から現在までの日本の実質GDPの年平均成長率は1%にすぎない。今後、5年間にわたって5%分余計に成長できるとすると毎年の成長率が2%になるということである。この状況は、安倍総理が日銀官僚や財務官僚の反対を押し切って実現したものである。安倍総理の決断が正しく、その正しい決断によって日本が成長しているという事態が、5年間続くということである。そうなれば、安倍総理が5年以上総理の座にあることが極めて有利な状況が作られる。
 日本が立憲国家になって以来、5年間以上総理の座にあった政治家は、伊藤博文、桂太郎、吉田茂、佐藤栄作、小泉純一郎と5人しかいない。中曽根康弘は5年に18日足りない。総理がころころ変わるのは最近の風潮と思っている人が多いが、実は、明治以来のことでもある。安倍晋三総理が、上記の人々と同じ並びの大宰相になる可能性が生まれている。
 すると、当然の疑問が生まれる。金融緩和だけで伊藤博文にも並ぶ大宰相になれるのだったら、なぜ、他の政治家はこのことに気が付かなかったのか。彼らは、日銀や財務省が反対する時点であきらめてしまった。安倍総理はあきらめなかった。伊藤博文が、幕府を倒し、新しい考えで日本を作り直さないといけないと真剣に考えたように、安倍総理も真剣に考えたのである。結局、これまでの政治家は、官僚に頼るばかりで、真剣に考えることをしていなかった。この違いが、安倍総理が大宰相になる道を開いたのである。

早稲田大学政治経済学部教授・東京財団上席研究員 原田 泰

(はらだ・ゆたか プロフィール)
1950年生まれ。1974年東京大学卒業後、同年経済企画庁入庁、同庁国民生活調査課長、海外調査課長、財務省財務総合政策研究所次長、大和総研専務理事チーフエコノミストなどを経て、現職。著書は、『震災復興 欺瞞の構図』『日本経済はなぜうまくいかないのか』『日本はなぜ貧しい人が多いのか』『日本国の原則』(石橋湛山賞受賞)『昭和恐慌の研究』(共著、日経・経済図書文化賞受賞)『日本の失われた十年』『日米関係の経済史』など多数。


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年頭のご挨拶(平成26年1月号)

2013年12月27日(金)
年頭のご挨拶(平成26年1月号)
 平成26年の新春を迎え、謹んでお慶び申しあげます。

 昨年は半田が誇る童話作家・新美南吉の生誕100年を祝し、1年を通じて数々の催しが開催されました。全国各地から大変多くの方々にご来半いただき、大成功を納めることが出来ました。また、私ども半田商工会議所も創立120周年という大きな節目を迎えることができました。先輩諸兄が築き上げた歴史と伝統に新たな芽を加えるため、「南吉」、「醸す」をテーマに食文化に光を当てた二つの新プロジェクトを展開し好評をいただきました。そして、会員数も念願の2400会員を達成することができました。これもひとえに会員の皆様のご支援の賜物と心より感謝申し上げます。
 今、わが国は、アベノミクスというストーリーに加え、2020年の東京オリンピック開催など、比較的前向きな姿勢で、日本全体が明日に希望が持てるといった未来志向に動き始めています。しかし一方で地域経済は、不透明な環境のままであり、4月からの消費税率引き上げ後の影響も懸念されるところです。
 私は昨年11月、臨時議員総会で重ねてのご推挙を戴き、3期目の会頭職をお引き受けさせていただくこととなりました。新しく小栗利朗副会頭にも加わっていただくとともに委員会組織も再編し新体制をスタートしたところです。
 地域活力の源となるのは、なんといっても中小企業の皆様です。最優先課題は引き続き中小企業支援に置き、具体的な形で会議所にしかできない支援体制の確立を図り、創業から転廃業まで、頑張っている人々を支援するなど、これまで以上に力を注いで参ります。
また本年と来年の2年間は酢の里や赤レンガ建物をはじめ市内主要観光施設が改修工事に入るなど、次代へのパワーを充電する期間となります。この期間を活用し、当所として半田の良さを生かした新しい方向の打ち出し、周辺市町との協力体制強化による経済圏の拡大推進、地域で“人・物・金”を流動させる仕組みづくり、事業者自らが意識改善できる支援などに取り組み、当地域経済力の将来に向けての強化を図って参ります。
 そして、当所が永年にわたり築き上げてきた、当地域の明日を担う子どもたちの教育環境づくりを引き続き推進するとともに、次の半田の経済界を担うグローバル人材を積極的に育成していきます。
これからも地域経済社会が安定した活性化を図るためには地域唯一の総合経済団体としての商工会議所は必要不可欠であり、真に必要とされる組織を目指し魅力づくりの再構築に取り組むとともに、先々に向けた戦略的な中期ビジョン策定の検討への取り組みも開始します。
 そのためには商工会議所組織の中枢である部会・委員会を中心に青年部、女性会など全員参画をいただき、頑張っている人達が更に活躍できるよう、防災・減災対策の推進をはじめ、将来に向けて安心・安全な街づくりに全力で取り組んでいきます。
 本年も、更なるお力添えを賜りますよう心よりお願い申し上げます。終りに、会員並びに関係各位皆様方のご健勝とご多幸を祈念申し上げ、年頭のご挨拶といたします。


半田商工会議所 会頭 榊原卓三(尾張製粉梶@代表取締役)


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元気いっぱい・笑顔いっぱい・優しさいっぱいの子どもを育てる半田の教育・子育て(平成25年12月号) 

2013年11月27日(水)
元気いっぱい・笑顔いっぱい・優しさいっぱいの子どもを育てる半田の教育・子育て(平成25年12月号)   月日の流れは早いもので、平成25年もまもなく終わろうとしています。半田商工会議所の皆様には、市政運営に対しまして絶大なるご支援を賜り、心より感謝申し上げます。新しい年も、これまで同様「住みよいまちづくり、訪れたくなるまちづくり」に全力で取り組んでまいります。変わらぬご支援をお願いいたします。
 6月の市長選挙の折、市民の皆様に「『す・み・お』のまちづくり宣言」をお示しさせていただきました。「『す』住むなら半田といわれるまちに!『み』未来からありがとうといわれるまちに!『お』おだやかに安心して暮らせるまちに!」です。宣言実行のために、特に、「防災・減災(災害に強い安心安全なまちづくり)」「教育・子育て(将来を担う子どもたちを健やかに育むまちづくり)」「観光振興(わがまちを誇りに思い、市外の人が訪れたくなるまちづくり)」を重点に取り組んでおります。
 本年3月に、半田教育改革協議会から、「教育改革の方向性と具体的提言」をいただきました。現在、教育委員会が中心となり、具体的な取組を進めているところでもあり、今号では、「教育・子育て」の取組について報告させていただきます。
 「学校の勉強って、本当に、自分の将来に役に立つの?」と疑問を投げかける子供がいます。「なかなか学習の習慣が身に付かなくて・・・」と困惑する親がいます。昔も今もよく聞かれる声です。こうした声に対して、大切にすべきことは、「毎日の積み重ねが必ず将来につながるんだ!」と信じ、「今、この時」を大切にすることだと思います。そうすることによって、学習意欲の向上や自尊感情の高揚が期待でき、目的意識を持った学校生活を送ることができると思います。
 半田市では、こうした考えに基づいて、「元気いっぱい・笑顔いっぱい・優しさいっぱいの子供を育てよう!」を合い言葉に、「キャリア教育」を推進しています。
 「キャリア教育」とは、子供たちに、一度きりの大切な人生をよりよく生きるために、将来への夢や希望を育み、それに向かって努力することの大切さを自覚させる教育です。そのために必要となる力として、「みんなと協力して働くことができる力」「自分のよさを生かす力」「様々な課題を解決する力」「自分の生き方や職業を考える力」を身に付けさせるべく取り組んでいます。
 実践例をいくつか紹介します。小学校では、身近な職業人の話を聞いて、将来の夢を思い描く「ドリームマップづくり」や、10歳の節目にこれまでの自分を振り返り、これからの自分を考える機会とする「二分の一成人式」などに取り組んでいます。中学校では、商店や工場、公共施設などでの職場体験学習や、小学生に勉強や運動を教える出前講座などに取り組んでいます。他にも、「ごんごん駅伝」や「あいさつ運動」、「街角ボランティア」など、小中学生が一緒に取り組んでいるものもあります。
 これらの取組を通して、子供たちは学校生活と実社会とのつながりを意識するようになりつつあります。また、教職員は幼稚園・保育園・小学校・中学校の連携を大切にしようという意識が高まりつつあります。そして、何よりうれしく思うのは、地域の多くの皆様との出会いやふれあいの場が広がってきていることです。今後ともよろしくお願いいたします。


半田市長  榊原純夫


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アベノミクスへの期待と不安(平成25年11月号) 

2013年10月28日(月)
アベノミクスへの期待と不安(平成25年11月号)   安倍政権の発足以来、20年にわたり日本を覆っていた閉塞感から国民の気持を解放し、経済と国の将来についての期待を持つようにした。これが緒戦における最大の成功であったと思う。
 バブル崩壊後の20年間、日本人は何をして来たのだろう。最近、米国の雑誌フォーブスが、「日本のなわれた20年は本当だったのか」という記事を掲載している。1991年から2012年の間、日本の労働者一人当りの実質GDPの伸びは、先進国グループの先頭を行く米、独とほぼ同じようなペースを維持しているという指摘は、その通りなのである。人口、特に労働人口が減少する以上、経済成長率がこれを反映せざるを得ないという現実は直視しなければならない。バブル崩壊により、それまで日本人が永久の存在と思っていた大銀行や証券会社がバタバタと破綻、これによる経済の停滞に対処しようと無闇に財政資金を投入したが、思ったような経済成長が実現しない。その結果として、先進国の中で断トツの財政赤字の山を築いて来てしまったのである。
 この20年の政治的・経済的混迷は、日本の国際的基盤も脆弱化させた。単に国際政治の上のことだけではない。日本企業が外国でIR(企業説明)の会合を開いても、誰も来ないというような状況―即ち、日本は世界市場からも忘却のかなたに追いやられていた。
 アベノミクスは、日本内外の人心を一変させた。ただ、円安をここまで進行させたのも、日本株を日経平均で15,000円超に押し上げたのも、主役は外国人投資家、特にヘッジ・ファンドである。国際会議に出れば、必ず、アベノミクス、クロダノミクスに説明を求められる。世界の目は日本に向いているのだ。これに酔って、人口、特に労働人口の減少、その結果としての国内市場の縮小、国としての成長率の低下という厳しい現実に目をそむけてはならない。この高齢化という社会の現実、そして他国に例を見ない最悪の財政事情、ここで可能なのは、せいぜいが「中福祉、高負担」なのだ。
 次の衆院選は2016年12月、参院選は同じ年の7月、久しぶりに長期政権として政治に取り組める体制となった。この際、国民に上記のような厳しい現実を訴え、苦労を共にする共感が国民の間に生まれるような空気をつくってもらいたい。
 安倍政権の当初の成功は、国民を明るくするようなドラマをつくるのに成功したことによる。一端、ドラマづくりに成功すると、ドラマを次々とつくらないと崩壊してしまうというような心理に陥りがちなものである。そうなると、ポピュリズム(人気とり政策)に走る危険がある。増税を含む財政の建て直しを後回しにして現実離れした成長を追い求めた場合には、当初、アベノミクスを買いはやした外国の投機筋は、一斉に牙をむいて「日本売り」に転じて来ることを心して、足許を固めた政策運営を切望するものである。


株式会社日本格付研究所 代表取締役社長 内海 孚

(うつみ・まこと プロフィール)
昭和9年東京生まれ。昭和32年東京大学法学部卒業後、大蔵省入省。フランス留学ののち、在ベルギー日本国大使館書記官、内閣官房長秘書官事務取扱、主税局税制第一課長、東海財務局長、在アメリカ合衆国日本大使館特命全権公使、国際金融局長を経て、平成元年財務官。大蔵省退官後、平成4年より慶応義塾大学商学研究科教授。平成13年1月より(財)国際金融情報センター理事長。平成16年6月より鞄本格付研究所代表取締役社長。


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地域密着と中小小売業(平成25年10月号)

2013年9月27日(金)
地域密着と中小小売業(平成25年10月号)  中小小売業者の多くは、いまだ先行き不透明な厳しい状況に置かれており、売上高の低下や後継者問題など多くの問題を抱えている。しかし、厳しい状況下の中でも、独自に経営努力を続け苦境の中でも勝ち残る中小小売業者が存在しているのもまた事実です。
 顧客主義の徹底などで“地域密着”を実践しつつ、その宿命である“小規模”を強みに転じ、中心市街地に立地し続けている“店舗”を戦略的に活用している中小小売業者であります。
 大部分の中小小売業者は、経営不振の原因を専ら“外部”に求め、自店の経営上の問題を直視しようとしない小売業者が多く存在しているのも事実です。「問題は内でなく外にある」とする傾向は「景気や政策が悪い」「業種・業態は悪い」「規模が小さい」「ロケーション(立地)が悪い」「大企業・大型店が悪い」 などである。その中にあって、“活力ある中小小売業”として存続し続けている小売業者は、個店の宿命ともいえる“小規模”というハンデをものともせず、あくまで“地域密着”に徹し、経営資源としての“店舗”を中核に据えながら、事業の継続、発展を模索している先である。

★地域密着
 年齢層が高くなるにつれて、買い物における“地元志向”が急速に強くなっていることがわかる。ある意味では、“地域密着”を旨とする中小小売業者には、高齢者に買い物の場を提供し続けるという社会的使命もあります。また、長年にわたり“地域密着”を実践してきたからこそ可能な「人と人との密接な関係(強固なリレーション)」も大きな強みとなる。“地域密着”が宿命の小売業だからこそ、“地域密着”に活路を見出していく余地は必ず見出せる。

★小規模
 消費者ニーズもかつて十人十色といわれた嗜好性が、今日では一人十色と変化しています。大量生産のありきたりなモノだけに満足できない消費者がニッチ(隙間)という市場を創り出している。
 こうしたことを考えると、“小規模”を宿命とする中小小売業者は、“個性”に特化した経営に転換し、大型店との競合に終止符を打っていくことも一案である。商品数、従業員数などが大型店と比較して、“小規模”なことは事業方針の変更が行いやすく、消費者ニーズが多様化する動きは、中小小売業者にとっての“追い風”であり“強み”と考えたい。

★店舗
 中小小売業者にとって顧客との対面販売が、年商の大半を占めるのが一般的でした。ここにきて対面販売の拠点としての機能は間違いなく低下しています。来店客以外の顧客獲得を視野に入れた“情報収集拠点”としての機能を強化し、そこに“店舗”があるからこそできる商売を形にしたいものです。
 苦境の中でも勝ち残る活力ある中小小売業者の経営に対する共通の認識は“危機感“を持っていることです。常に危機感を持っているからこそ、自己の経営資源を環境に合わせて変化させることができるのです。今日の業界環境の要因を外部のせいにすることなく、ブレのない確固たる経営方針とイノベーションを創り続ける活力ある中小小売業者をめざし、地域のコア(核)となっていただき、今後に向けて積極果敢に経営に挑んでいきたいものです。


半田商工会議所 副会頭 榊原康弘(知多信用金庫 理事長)


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創立120周年を迎えて(平成25年9月号)

2013年8月28日(水)
創立120周年を迎えて(平成25年9月号)  半田商工会議所は本年9月18日に創立120周年を迎えます。改めて創設期を牽引された先輩諸兄の進取の精神に心より敬意を表したいと思います。
 当所の前身である知多商業会議所は、名古屋圏最古の歴史を持つ武豊線(現JR武豊線)の開通から7年後、明治26年9月18日に農商務省指令第5721号を以って認可され、産声を上げました。設立申請当時は東海地方では、まだ名古屋をはじめ4か所しか会議所の設置がなく、いかに当時のこの地の商工業者の会議所設置への機運が高かったかが伺えます。加えて設置されていたのは国内の主要都市ばかり、知多郡の20町村による寄り合い所帯での設立申請は異例でした。
 連合した理由を次のように申請しています。「知多郡は東西南の三方海に面し、北の一方は愛知郡に接し、あたかも一島の形をなし、(中略)連合町村内の産物たる米穀・酒類・醤油・木綿・種油等連合町村相関連して以って一つの特産物をなすが如き、商工業上相互に利害得失に於て離るべかざる関係を有せり。」
 まさに「知多は一つ」。現在盛んに言われている広域連携を120年も前に先取りしていたことが伺い知れます。
 初代会頭には半田の榊原由一氏(酒・醤油製造業)、副会頭には亀崎の天埜伊左衛門氏(酒造業)が選任され、事務所は半田停車場(現JR半田駅)前の民家を借り受けての開設でした。
 そして「明治28年には取引所所得税軽減を主務大臣に建議。翌29年には半田運河開設を知事に建議。」と会議所活動の根幹である意見要望活動を開始したとの記録が残っています。
 その後、昭和3年の商工会議所法の施行に伴い知多商工会議所となり、同12年の半田市制の施行後、半田商工会議所と改称されました。
 明治、大正、昭和、平成にわたり幾多の困難を乗り越え、時勢の進展とともに当所は地域商工業の発展振興に注力してまいりました。先輩諸兄をはじめ、当所の役員議員並びに会員、職員、その他関係各位が当所の機能発揮に尽力された功績は誠に甚大なものです。
 時代の変遷とともに当地の主要産業もかつての繊維・醸造業から今では自動車・航空機産業へと移り変わり、各位の努力により過去最高の2400会員となった会員の業種構成もサービス業が最大となるなど、今、時代は大きく変革しようとしています。
 創立120周年記念事業を企画していくにあたり、これから先も会員企業を取り巻く経営環境が決して楽観視はできない中、一過性の事業にはしたくない、半田のまち、そして当地域がこれからも再活性化していくための新たな芽づくりをしていこうと大々的な式典や記念講演は見送り、事業費を“南吉”と当地域を支えた醸造文化に改めて光を当てた“醸-KAMOSU-”の両プロジェクトに充当させていただきました。
 創立120周年は大きな節目ではありますが、一つの通過点でもあります。これまでに直接間接の発展に貢献して来た当所の歴史を汚さぬよう、進取の精神、広域連携の精神をしっかりと受け継ぎ、次代へとバトンを繋いでいきます。
 そして、“会員あっての商工会議所、会員にとって役に立つ商工会議所”を基本理念に置き、新時代に対応する支援体制づくりに邁進するとともに、今後も当地域経済が発展し続けていくために牽引するという使命を果たすべく全力を傾注してまいりたいと思っております。
 どうか皆様方におかれましても一層のご支援ご協力を賜わりますよう心よりお願い申し上げます。


半田商工会議所 会頭 榊原卓三(尾張製粉梶@代表取締役)


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亡き人との対話(平成25年8月号)

2013年7月25日(木)
亡き人との対話(平成25年8月号)  私が20代半ばの頃のこと、ある資産家の経営者から、「私は親父から、俺が死んだら3年間は何も変えるな、と言われて、それを守ってきた」という体験談を伺ったことがありました。私は「ふぅん、そういうものか」と思っただけで、今一つピンと来ませんでした。
 ところが、それから数年後のこと、一代で会社を急成長させたある経営者が亡くなり、葬式が済んで数日後、社長室に通されて驚きました。息子である新社長が、机や書棚の中の物を片っ端から段ボールの箱に入れていたのです。もう要らないから処分するのだそうです。先の経営者の話とは全く逆の光景です。
 それは余香を拝すなどという心情とは無縁のものであり、戦後、多くの若者を惹き付けた「古い上衣よさようなら」を地で行くものでした。
 因みに、この会社は、その後10年も経たないうちに、赤字続きであっさり廃業してしまいました。一方、前の会社は、孫が跡を継いで今も頑張っていますが、往年の勢いはありません。栄枯盛衰は世の常とはいえ、これをどう考えればよいのでしょう。
 そもそも、「死後3年間は何も変えるな」とは、どういうことなのでしょう。私流の解釈では、変えるなとされているのは、脈々と伝えられてきた経営理念とか社是、家訓であり、精神です。3年間というのは、それを若い後継者が心身に叩き込み、我がものとするための醸成期間です。砕いて言えば、「亡き親父ならこんなときどうするのかなぁ」と静かに考える時間を持つことです。これが亡き人との対話のスタートです。そしてこれを習慣としなさいということです。
 思うに、何百年も続いている企業の数が、我が国は世界の中で圧倒的に多いということは、先人たちがこういうことに心血を注ぎ、工夫を重ねてきた結果なのでしょう。
 「家に代々伝わったものを、お前のものにするためには、お前の力で自分のものにせよ」(ゲーテ「ファウスト」)ということなのです。
 ところで、近頃一部の風潮かも知れませんが、葬儀に異変が生じつつあるようです。古来、日本人は葬儀を重んじる傾向があり、大陸渡来の年忌の習俗も、日本において追善供養として複雑に形成されてきた(中村元「日本人の思惟方法」)のです。人にはそれぞれ事情があるのだから、余計なお世話だと言われればそれまでですが、葬儀や法要を省略するということは、亡き人と対話する貴重な機会を奪うことになります。
 先の大震災後、絆という言葉が盛んに使われていますが、本来切っても切れない一番身近であった人との絆を、幽明境を異にすることになったからといって、ばっさり断ち切るようなことをしたのでは、本末転倒でありましょう。
 合理的ではあるとしても、それは必ずしも智恵のあることではないのです。私たちが守っていかなくてはならないのは、このような生活に根差して伝えられてきた智恵なのです。このような智恵を深く考えてみることもなく捨ててしまったのでは、根なし草のような社会になってしまうのは必定です。
 「歴史とは現在と過去との対話である」(E・Hカー「歴史とは何か」)と言われています。この8月という月は、6日、9日、15日と、日本の歴史上の大痛恨事があった日が続きます。これを永遠に語り伝えていくためにも亡き先人たちとの対話が不可欠なのです。

半田商工会議所 副会頭 筒井保司(税理士法人経世会 代表社員)


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