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オピニオンHANDA ゲッポウ巻頭コラム


『デフレ脱却ということ』(平成25年6月号) 

2013年5月26日(日)
『デフレ脱却ということ』(平成25年6月号)   デフレからの脱却が、安倍政権の当面の最重要課題となっている。日本銀行の大胆な金融緩和策もあって、この政策目標はその実現に向かってとりあえずは順調に進んでいるようである。
 デフレからの脱却が実現するようだと、中小中堅企業にとってもその影響は大きい。景気回復は企業にとってはありがたいことだが、デフレ脱却のすべてが心地よいものではないということに気をつけなくてはいけない。日本経済は長いことデフレにどっぷりと浸かっていた。それに慣れてしまった企業経営者は、デフレ脱却が経済構造を大きく変えることを軽視しかねないからだ。
 数年前のことである。まだ、民主党政権の頃、ある会合で中堅企業の経営者の方々に次のような質問を投げかけたことがある。「もし金利が大幅に上昇したとしたら、皆さんの会社の経営はどうなるでしょうか?」、と。
 当然、「厳しい」という答えが返ってくると思ったら、そうでもない。中には、「早く金利が上がってほしい」と言っている人までいる。どうしてかと聞けば、「金利が上がればライバルは苦しくなる。それだけ財務内容のよい自分のところは有利になる」という答えだ。
 このやり取りには重要な点が含まれている。この質問をしたときは、まだデフレのまっただ中であり、金利上昇はデフレ脱却というよりは財政不安か起きるというようなことを想定していた。ただ、デフレ脱却でも、金利は高くなりうる。
 デフレのときは、景気こそ低迷しているが、低金利で多くの企業は苦しいながらも生き延びてきた。難しい結論はすべて先延ばしをして、じっとしている。これがデフレの下での生き残り策だ。だから、経済も振るわない。
 しかし、デフレ脱却となれば、そうは言っていられない。経済が動き始めれば、そこで正しい対応をする企業と、問題を先送りする企業の間で大きな差がついてしまうのだ。デフレからの脱却が実現しそうな今、企業にも経済への見方を大きく変えてほしい。
 アベノミクスの効果が出始めて、日本経済全体は少しずつ明るい雰囲気になってきた。しかし、中小企業の現場を歩いてみると、なかなか厳しい声も聞こえてくる。「利益が上がっているのは大企業ばかりで、下請け企業の売り上げは変わらないのに、円安で原料費が上がって大変だ」、などという声も聞こえてくる。
 円高がすべての企業にとって悪いことでもないのと同じように、円安がすべての企業にとってよいことでもない。当たり前のことだが、企業経営者は変化の持っている難しい面に気をつける必要がある。日本経済全体の景気が回復していくことは大歓迎だが、その変化の中に思わぬリスクも隠れているのだ。
 ただ、一つだけ強調したいことがある。デフレの時には、防御的になって何も新しいことをしないのが、もっとも優れた生き残り策であった。だから多くの企業が変化を先送りしてきた。しかし、脱デフレが進めば、何もしない、あるいはできるだけ対応を先送りするということが、企業にとって最大のリスクになるということだ。変化に対応するのは簡単なことではないが、脱デフレがより多くの企業にとって業績改善につながればと願っている。


東京大学大学院経済学研究科教授
財団法人総合政策研究機構(NIRA)理事長 伊藤元重

(いとう・もとしげ プロフィール)
1951年静岡県生まれ。1974年東京大学経済学部経済学科卒業。1978年米国ロチェスター大学大学院経済学研究科博士課程修了。現在は大学院経済学研究科教授。総合研究開発機構(NIRA)理事長。
・経済産業省 産業構造審議会 産業構造部会部会長。
・財務省 関税・外国為替等審議会会長。
・公正取引員会 独占禁止懇話会会長。
著書に「ゼミナール現代経済入門」(日本経済新聞社 2011年)など多数。


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『真実を伝えることの「使命」』(平成25年5月号) 

2013年4月30日(火)
『真実を伝えることの「使命」』(平成25年5月号)   大震災から二周年を迎えた三月十一日、私は一本の映画を観た。
 『遺体―明日への十日間』(製作フジテレビ)である。原作はノンフィクション作家の石井光太氏、監督・脚本は『踊る大捜査線』や『誰も守ってくれない』などの作品で知られる君塚良一氏だ。
舞台は、大津波で壊滅的打撃を受けた岩手県釜石市の廃校になっていた中学校。その体育館に津波で亡くなった無惨な遺体が次々と運び込まれて来る。映画は、この体育館の中で繰り広げられる人間ドラマを描いたものだ。
 圧倒的な泥と水がこの映画の特徴だ。運び込まれる遺体の口から泥水が溢れ出てくる。その遺体を清める水もない。体育館には、愛する人を探す家族が次々と訪れる。
 泥だらけの遺体に誰もが立ち尽くす。しかし、それでも無惨な遺体を見続けなければならない。やがて発見される変わり果てた肉親。われを失い、取り乱す人、ただ茫然とする人、こらえきれず号泣する人……さまざまな姿が映し出される。
 主役の西田敏行は、かつて葬儀社に勤めていた経験を持つ民生委員を演じている。願い出て、ボランティアとして、その体育館で働いている。彼の目を通して、そのようすが克明に描かれるのである。
 尊厳をもって亡骸(なきがら)に接し、悼もうとする西田が演じる民生委員。彼は遺体に語りかける。
 「つらかったねえ。痛かったねえ……。すぐ家族が迎えにきてくれるから、少しの間だけ我慢してね……」
 まるで生きている人と話しているようなその行動が、体育館で遺体の世話をする市の職員たちに広がっていく。
 人間は極限の哀しみに遭遇した時、どうなるのか。そして、愛する人にどう接し、どう見送るのか。その懸命な人々の姿が、映画館の中を嗚咽(おえつ)に包み込んでいた。これまで私は、あれほど涙に覆われた映画館を経験したことがない。
 なぜ、人々はこれほど感動したのだろうか。それは、この映画が“実話”であるからだろう。地震発生と共に現地を目指した原作者の石井氏は、この釜石市の中学の体育館で繰り広げられたドラマを実際に目撃し、取材し、そしてノンフィクション作品としてこれを書き切った。そこには創り物にはない人々の息遣いがあった。「真実」が語りかけてくる衝撃と感動を超えるものはない、と私は思っている。
 懸命に遺体に語りかけ、失われた命の尊厳を守ろうとする心、愛する者を亡くした人の哀しみを思いやる温かさ、日本人が持つ死生観……そのすべてに、観る人が魂を揺さぶられたのだろうと思う。
 震災で亡くなった一万九千人余の犠牲者には、その数だけの喜びと哀しみ、そして人生の物語があった。そのことを震災二周年に、私はまた思い出させてもらった。
 昨年十一月、私自身も、大震災の時に福島第一原発で起こった事故に命をかけて立ち向かった人々の姿を描いた『死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』(PHP)を上梓した。お蔭さまでベストセラーとなり、多くの方に手にとってもらっている。この作品によって、あの未曾有の悲劇に遭遇した人々の毅然とした生きざまを、私自身も少しはお伝えできたかもしれないと思っている。
 後世に「そこにあった真実」をどう伝えるか。ジャーナリストとして、その使命の重さを以前にも増して感じる今日この頃である。


ノンフィクション作家 門田隆将

(かどた・りゅうしょう プロフィール)
1958年高知県出身。中央大学法学部卒業後、新潮社入社。週刊新潮記者、デスク、副部長などを経て、2008年ノンフィクション作家として独立。事件、司法、歴史、スポーツなど幅広いジャンルで活躍。「甲子園への遺言」「なぜ君は絶望と闘えたのか」は、テレビドラマになり大きな反響を呼んだ。「この命、義に捧ぐ─台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」で第19回山本七平賞を受賞。昨年は、「太平洋戦争 最後の証言」(小学館)シリーズを完成させた。最新刊の「死の淵を見た男─吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日」(PHP)が現在、ベストセラーに。


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半田から教育が変わる(平成25年4月号)

2013年3月25日(月)
半田から教育が変わる(平成25年4月号)  8年前、半田商工会議所は「半田から教育を変えよう」を合言葉に教育改革運動を始めました。経済人の目から見て、このままではこの国はダメになるし、その根本原因は人づくりにあると考えたからです。それからの6年間は、教育界のみなさんと会議所の教育改革担当委員会メンバーとの度重なる交流と、会議所による学校教育支援の活動が続きました。その中で最も大きな成果を上げているのが半田市教育委員会の発案により市内全域で推進されている【あいさつ運動】です。これらの交流や活動を通して教育界と会議所との間に深い相互理解と信頼が醸成されました。その結果一昨年6月に生まれたのが、教育改革の方向性を協議する教育改革専門委員会と、その内容を最終的に決定する半田教育改革協議会でした。共に教育界、行政、議会、経済界、有識者、若者を代表する委員で構成され、全国でも稀な組織となりましたし、会議の開催回数も専門委員会が2年間で43回、協議会が同12回にも及びました。
 専門委員会がまず取り組んだのは、現代社会の分析と評価でした。そこで問題点として抽出された代表例を挙げれば、自分のことや目先のことしか考えず、困難に耐えられない若者の増加、核家族化や家族崩壊の進行、絆を失ってバラバラになってゆく社会、そして祖国のことをほとんど知らず、国の将来に無関心な国民・・・でした。
 なぜこのような国の姿になってしまったのでしょうか。次に専門委員会はこの現象と教育との関連について熟議を重ねました。そもそも教育とは、社会とは、人のあるべき姿と幸せとは・・・相当基本的なテーマについても議論を重ねました。その結果、故郷半田を変えるために、親(家庭)、教育界、そして地域に対して「こう変わって頂ければ」という項目をまとめたものが別ページに掲載した【教育改革の方向性と具体的提言】です(カイギショゲッポウvol.790 平成25年4月号を参照)。提言の左側には専門委員会での議論の経過を簡潔にまとめました。要は人づくりに関わる環境が変われば、純粋無垢な子どもたちは正しく育てられ、その人々が構成する故郷や国は今よりもきっと良くなると考えたのです
 この提言は今年3月に半田市長と同教育委員長に対して提出されました。教育界、並びに行政の枢要な人々は、この間専門委員会と協議会の委員として積極的に協議に参画して頂いてきましたので、これらの提言は更なる現場の英知を加えて、間違いなく実践されるものと信じますし、更にこの教育改革の運動が市民運動にまで広がり、市民総出で半田の子どもたちを育てることができれば、近い将来、半田は他に誇れる素晴らしい街、元気な故郷になると考えます。更に夢を語れば、やがてこの教育改革の炎が全国に広がって、日本が再び夢と活力に溢れた国に変わることを切に願うものです。
 最後に、この間多大なるご尽力を賜った関係各位に対し、深甚なる感謝の意を表明して報告とさせていただきます。


半田商工会議所 副会頭 神谷義尚(神谷鉄工梶@代表取締役)


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『自分で考えるための地域・企業・家庭での「物語り」(ストーリーテリング)のすすめ』(平成25年3月号) 

2013年2月25日(月)
『自分で考えるための地域・企業・家庭での「物語り」(ストーリーテリング)のすすめ』(平成25年3月号)   今年はへび年だが、へびは脱皮の象徴で、今年こそ日本が「失われた20年」から脱皮していくことが期待される。「失われた20年」の主要な原因は、成功体験に基づく古い思考パターンの固定化である。一人一人が自分で考え、そこから抜け出すべき時だ。
 特に、変革期の国・地域・企業のリーダーに期待されるのは、人々の古い思考パターンを変えることである。その役割の大切な手段の一つが物語り(ストーリーテリング)である。物語りとは2つ以上のエピソードをつなぐことで、エピソードに意味を持たせる語りのことである。
 私たちは、幼いころから沢山の童話や絵本の物語を聞いて、あるべき社会像、善悪の判断基準、人間関係の調整の技法を学んできた。そして同じ物語を聞いた人々が思考パターンを共有してきた。だから、古い思考パターンを変えるためには、新しい物語で新しい思考パターンを共有する必要がある。それが変革のカギとなる。
 リーダーのスピーチから聞き手が聞きたいのは「それで私自身はこれからどうすればいいのか」である。何をすれば努力が報われるのか、そのアイディアを聞きたい。アイディアには未来の設計図、判断基準、人間関係再編のための調整技法が含まれる。一番簡便に聞き手にそうしたアイディアを理解してもらう方法が、共有する過去の記憶を呼び起こすことである。「すぐれた語り手は過去にいのちを吹き込む」といわれるが、欧州のルネッサンスは古代ギリシャやローマ時代の再生として、米国の変革は独立革命への回帰として、日本の明治維新は王政復古として起きた。
 地域や企業は、過去の記憶の宝庫である。半田市にも、半田市の企業にも、物語られることでいのちが吹きこまれることを待っている過去のエピソードが豊富にある。それが文化として、ブランド価値として、人々に変革に立ち向かい、未来のリスクに立ち向かっていく勇気を与えることだろう。
 家庭において親が子供に読み聞かせする物語が童話である。子供が未来に向かって自分で考え、人生を歩んでいく上での最も基本的な思考パターンを形成するのが童話だ。半田市では今年、童話作家の新美南吉さんの生誕百年を迎え様々な記念行事が行われ、8月には日中韓子ども童話交流2013も開催される。この行事が半田市の脱皮につながるかどうかは、この行事の後に何が行われるかによって変わってくる。
 例えば、今年の記念行事をきっかけに半田市が、親が子供に絵本を読み聞かせる日本一の街づくりをめざしてはどうだろうか。OECDの学習到達度調査(PISA)で世界トップクラスの読解力を誇るフィンランドは、親が子供に絵本の読み聞かせる国として有名だ。今、絵本は画像と言葉で同時にアイディアを子供に伝えるものだが、この手法は江戸時代の草双紙以来、日本の得意とするメディア手法のはずだ。半田市で官民あげて童話を次々に絵本にする、そこで世界から絵本作家が集まる、家庭も使い終わった絵本を図書館に寄贈する、子育て世代が子供のために絵本読み聞かせの街・半田市に転入して地域も活性化する、教育水準も上がり企業も栄える、そんな新たな地域活性化の物語が半田市で始まることを期待したい。


社団法人アジアフォーラム・ジャパン政治・経済戦略センター所長 真柄昭宏

(まがら・あきひろ プロフィール)
1961年生まれ。1984年一橋大学社会学部卒業後、新自由クラブ政策委員会室スタッフ、竹中平蔵経済財政担当大臣政務秘書官、参議院議員竹中平蔵政策担当秘書、中川秀直自由民主党政務調査会長特別秘書、中川秀直自由民主党幹事長特別秘書、衆議院議員中川秀直政策担当秘書等を経て、現職。2011 年千葉商科大学大学院で博士号(政策研究)取得。著書に『ツイッターを持った橋下徹は小泉純一郎を超える』(講談社)など。


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安倍政権に臨む(平成25年2月号) 

2013年1月27日(日)
安倍政権に臨む(平成25年2月号)   安倍政権の特徴は、大胆な金融緩和を打ち出したことである。識者といわれる人々がこれに反対を唱えているが、まったく根拠のないものである。金融緩和をしても無効だという論者は、緩和をしても銀行貸出が伸びないから効果がないという。しかし、金融政策が効果をもたらす経路は銀行貸出だけではない。金融を緩和すれば株価などの資産価格が上昇し、為替レートが下落する。これらの効果を通じても金融政策は効果を発揮する。そもそも銀行貸出は、89年末のバブル崩壊後、長期的に低下している。リーマン・ショック後の不況からの回復でも景気は09年1-3月から回復したが、銀行貸出が伸びたのは2年以上たってからである。
 また、効果がないという論者は、同時に、一度大胆な金融緩和をすればそれを止めることはできず、ハイパーインフレになってしまうという。効果がないのにハイパーインフレになるというのは矛盾していると私は思うが、無効論者は自分の主張の矛盾には無頓着である。しかし、ハイパーインフレにならないために2%というインフレ・ターゲット政策を採用しているのである。2%を超えそうになったら引締めると分かっているのだから、インフレを期待して無謀な投機が起きることはない。また、日本銀行も、むしろ政治的圧力を味方にして引締めに向かうことができる。

・経済が好転した後に何をするか
安倍総理の唱える大胆な金融緩和で経済は好転する。しかも、この成功は、世間的には能力があると思われていた人々の反対を抑えて実現することになる。総理に批判的だった人々は誤っていたと多くの人々が認識する。これに拠って総理には求心力が生まれる。この求心力を用いて、日本が必要とする改革を進めていただきたい。
まず、TPPへの参加である。TPPへの参加は早急に決めなければならないので、人々が金融緩和に拠る景気回復を実感する前に決定しなければならない。求心力が高まる前に決める必要があるのは難点だが、景気回復による増収を見込んで、農業予算の増額によってTPP反対派を説得すれば良い。
 TPPで農業部門が打撃を受けるのは事実である。しかし、それに対して対応する方法はある。仮にすべての農業分野で完全に関税を撤廃することになったとしても、禁止されるのは国境での保護であり、農家戸別所得補償制度によって、国内的に保護することは可能であり、そのコストも負担することが不可能なものではない。日本の農業総生産は4.7兆円であるが、そのうち6割余りの野菜、果樹、乳牛と豚を除く畜産では保護の程度は小さく 、TPPで大きな打撃を受けるのは残りの4割弱の2.1兆円の農業である。この価格がTPPによって半分になるとすれば、農家は1.05兆円損するが、消費者は1.05兆円得をする。この消費者の利益の約1兆円を戸別所得補償で給付すれば、農家は影響を受けないことになる。もちろん、税収が必要という話になるが、金融緩和で急増する税収を使ってもよい。金融緩和は、構造改革を促進するのである。

早稲田大学政治経済学部教授・東京財団上席研究員 原田 泰

(はらだ・ゆたか プロフィール)
1950年生まれ。1974年東京大学卒業後、同年経済企画庁入庁、同庁国民生活調査課長、海外調査課長、財務省財務総合政策研究所次長、大和総研専務理事チーフエコノミストなどを経て、現職。著書は、『震災復興 欺瞞の構図』『日本経済はなぜうまくいかないのか』『日本はなぜ貧しい人が多いのか』『日本国の原則』(石橋湛山賞受賞)『昭和恐慌の研究』(共著、日経・経済図書文化賞受賞)『日本の失われた十年』『日米関係の経済史』など多数。


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製造業は日本に帰れ(平成24年12月号) 

2012年11月26日(月)
製造業は日本に帰れ(平成24年12月号)   過去20年にわたり、米国の製造業はその生産拠点を、中国などに移転して来た。1979年には、2000万人雇用していた製造業が、2010年には、1200万人の雇用に減ってしまった。
 ところが、米国でこのところ、製造業の国内回帰傾向が目立って来た。GE(家電)は中国からケンタッキーへ、マスター・ロック(鍵)は中国からウィスコンシンへ、キャタピラー(建設機械)は日本からテキサスへ…などと、その例は枚挙にいとまがない。
 その背景としては、最大の移転先である中国の状況がある。
中国の平均賃金は、過去5年、毎年約20%上昇、今後もこの傾向が続くと見込まれている。労使紛争も頻発、しかも、中国共産党は外資系企業の労働組合の中に共産党支部を設けることを要求する動きを見せている。
 また、労働生産性という点から見ると、米中それぞれの製造業の生産高は大差がないのに、中国の製造業就労者数は、1億2000万人と、米国の10倍である。即ち、中国の労働生産性は、米国の10分の1ということになる。しかも、米国の賃金の方は、下落傾向にある。
 更に、その他のコストについても、電力料金は、ここ2年で15%上昇しているのに対し、米国ではエネルギー・コストは下落しつつある。
 このような傾向を、オバマ政権も本年一月の一般教書演説で後押しする態度を鮮明にし、税制等各種の奨励策を提言している。
 顧みて、日本の状況を点検してみよう。製造業がなだれを打って中国をはじめとする新興国に移転する傾向は、日本も例外ではない。1990年代以降、日本の製造業の雇用者数は3分の1も減少した。衣料、おもちゃほか身辺雑貨など、比較的単純な工程で製造できる製品については、日本製のものを見出すことが難しいくらいである。
 中国への外国企業の投資は、近年、日本がナンバー・ワン。日本企業の中国人労働者の雇用は、直接間接を含め、1000万人に及ぶ。その中国とは、尖閣諸島問題を契機として、厳しい緊張関係にあり、連日、中国全土に拡がり、しばしば暴力化した抗日デモで、日本企業、日本製品が深刻な被害を受ける事態となっている。
 過去10年にわたり、多くの外国企業が、自国を含め世界市場に向けた製造・輸出の拠点として中国を選び、中国は「世界の工場」と呼ばれるまでになった。
 米国企業が中国に背を向ける兆候は、世界の企業が中国の経済と社会に不安を感じはじめ、投資先を多角化しようとしはじめたことを示している。
 勿論、中国という13億人の巨大な市場を無視することはできない。その中国市場向けの製品を中国で製造することは必要だろう。しかし、日本向けの製品まで中国その他の新興国でつくることはない。日本市場向けの製造業は日本に回帰し、日本でしかできないモノづくりを日本の顧客に提供してもらいたいものである。

株式会社日本格付研究所 代表取締役社長 内海 孚

(うつみ・まこと プロフィール)
昭和9年東京生まれ。昭和32年東京大学法学部卒業後、大蔵省入省。フランス留学ののち、在ベルギー日本国大使館書記官、内閣官房長秘書官事務取扱、主税局税制第一課長、東京財務局長、在アメリカ合衆国日本大使館特命全権公使、国際金融局長を経て、平成元年財務官。大蔵省退官後、平成4年より慶応義塾大学商学研究科教授。平成13年1月より(財)国際金融情報センター理事長。平成16年6月より鞄本格付研究所取締役社長。


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大震災後の危機をどう乗り切るか(平成24年11月号)

2012年10月26日(金)
大震災後の危機をどう乗り切るか(平成24年11月号)  昨年3月の東日本大震災は、日本のエネルギー供給構造の脆弱性をまざまざと浮かび上がらせた。原子力発電所の稼働が次々と停まり、電力の供給不足から生産活動に影響が及んだ。このようなエネルギー危機は、初めてではない。1973年の第1次石油危機の際にもエネルギーの供給不足をきっかけに、日本経済は停滞に転じた。
 しかし、前回のエネルギー危機では石油から原子力へとエネルギー転換を図ることによって、これに対応する余地があった。また、産業の現場では、省エネルギーを進めることによって生産性をあげて、この危機を克服した。トヨタ生産方式が確立したのも、このような時期であった。いわば産業全体を筋肉質にすることで乗り切ることができた。
 今回の危機には、前回のような対応だけでは乗り切ることはできそうにない。原子力に代わる再生エネルギーへの期待も高まっているが、太陽光発電にしても、風力発電にしても原子力発電に代替できるだけの量を積み上げることは容易ではない。原子力発電所の停止による電力供給の制約は,日本経済にとってのかなりの制約となると考えざるをえない。このようなエネルギー制約に加えて、日本社会の少子高齢化が急速に進みつつあることは、日本経済の将来に対する不安と閉塞感をもたらしている。
 しかし、国内だけではなくアジアに目を向ければ、現在の状況を打破する良い知恵が出てくるのではないだとうか。私は、この1年間にミャンマー、インドネシアなどに出かけて、現地の企業やそこで活動している日本企業を観察してきた。そこで感じたことは、。ミャンマー、インドネシアの経済は、タイ、マレーシア、シンガポールなど先行して発展した国と密接に結び付きながら、ダイナミックな発展を遂げている。日本企業もその結びつきの輪の中に入って、そこのエネルギーを取り込みながら、将来の発展を考えてみることが大事ではないかと思う。
 日本企業の海外展開はすでに1980年前後には始まっているが、中小企業まで含めて海外に生産拠点を設けるようになったのは1985年のプラザ合意によって円高が進行してからのことである。中には、国内の生産拠点を閉じて、大部分の機能を海外に移した企業もあった。しかし、そういう形態での海外展開は、ほとんど失敗に終わっている。その一方で、成功しているのは、国内に開発、生産機能を維持しながら、海外でも生産活動を活発に行っている企業である。その典型例が自動車産業である。自動車産業を見ると、完成車メーカーだけではなく、1次サプライヤーも国内だけではなく海外にも生産拠点を展開している。最近では、1次サプライヤーの中にも同様の展開をしているところが現れている。企業の海外展開が日本経済の空洞化を招くという議論もあるが、要はそのやり方次第である。
 いずれにしても、大震災後の困難を乗り切り、将来の展望を拓くためには、ビジネス活動の土俵を広く取ってアジアの発展のエネルギーを日本経済の中に取り込み、この閉塞感を打ち破るという姿勢こそが必要なのではないか。


東京理科大学専門職大学院イノベーション研究科 教授 松島 茂

(まつしま・しげる プロフィール)
1949年、東京に生まれる。1973年東京大学法学部卒業。同年通商産業省入省、その後、在ドイツ日本大使館参事官、通商政策局南東アジア大洋州課長、中小企業庁計画課長、大臣官房企画室長、中部通商産業局長を歴任。2001年法政大学経営学部教授、2008年東京理科大学専門職大学院教授。


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異質なものとの出会いで新たな強みを(平成24年10月号)

2012年9月27日(木)
異質なものとの出会いで新たな強みを(平成24年10月号)  マーケットを海外に求めて進出を加速させる企業が増えている。飲食業や流通業など、サービス産業のアジア進出も増えてきた。単に安い労働力を求めての海外進出は国内の雇用を減らす場合が多いが、消費市場として厚みを持ち始めた新興国での成功は企業の収益を増やし、国内雇用にもよい効果をもつ。
 ここで日本企業が海外に打って出られるのは、これまで培ってきた強みがあるからにほかならない。製造業の確かな技術力はもちろんのこと、サービス産業でも日本の消費者の要求に応えてきた細やかなサービスや、丁寧な味づくり、時間の正確さなどが、アジアに新たなビジネスモデルをもたらし始めている。こうした日本企業の強みは、長い間の創意工夫によってつくられてきたものだ。
 とすれば、ここであらためて考えておかねばならないのは、5年先、10年先に日本企業の強みとなるものがいま創られつつあるのか、ということだ。強みは一朝一夕にできるものではない。また、いつまでも強みが強みのままである保証はない。高い技術力をもつ家電メーカーが価格下落の著しい薄型テレビで苦戦しているように、かつての強みがいつのまにか弱みになることもある。経済環境が激変するなかで、強みを強みとして維持することは容易ではない。
 日本企業がこれから強みをもつために必要なことのひとつは、異質な分野と融合し、刺激しあうことではないだろうか。
 新たな発想は、違うものと出会うことで生まれる。日本社会には、お互いに分かり合った同質的な雰囲気を好む傾向がある。グローバル企業と言われる企業でも、意思決定は日本国内で日本的になされてきた例は少なくない。だからこそ、異質なものと出会った時にうまれるエネルギーは未知数だ。これは日本企業の潜在的な可能性だと思う。
 その意味で、社内の人材の質を変えていくことは重要なポイントだろう。海外スタッフという意味だけではなく、若者や女性など多様な人材で、社内に多様性をもちこむことが必要だ。同様に、ベンチャー企業を活かせるかどうかもきわめて重要だと思う。なぜならイノベーションは“不連続”であり、不連続な発想を持ち込むのはベンチャー企業や異質な人材だからだ。
 7月に発表された『日本再生戦略』では、エネルギー・環境、健康、農林漁業の3分野が「新たな成長をめざす重点分野」と位置付けられた。電力産業や医療・介護産業、そして農業は、これまで規制によって参入が強く制限されてきた分野だ。新たな発想によるイノベーションが十分に起こらずにきているから、逆にみれば、成長の可能性に満ちた分野と言える。したがって、これらの分野を成長分野にするには、規制改革によって不要な規制を廃止し、他産業から新たな発想や知恵を持ち込めるようにすることが不可欠だ。
 変化をおそれなければ、日本にはまだまだ成長の可能性がある。5年先、10年先の日本企業の強みや魅力をつくるために、いまこそ本腰を入れて成長戦略に取り組まねばならない。

政策研究大学院大学 教授 大田弘子

(おおた・ひろこ プロフィール)
昭和29年鹿児島県生まれ。一橋大学社会学部卒業。埼玉大学助教授、政策研究大学院大学教授、内閣府大臣官房審議官・政策統括官などを経て、平成18年内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)に就任。平成20年政策研究大学院大学教授に復帰。平成21〜23年同大学副学長。主な著作として、『改革逆走』(日本経済新聞出版社)、『経済財政諮問会議の戦い』(東洋経済新報社)などがある。


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われわれはどこへ行くのか(平成24年9月号)

2012年8月28日(火)
われわれはどこへ行くのか(平成24年9月号)  印象派の画家ゴーギャンの代表作に「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」があります。彼が晩年に定住したタヒチは、その作品によって、南太平洋の楽園として世界に紹介されました。丁度その頃、日本は富国強兵を国是として日清・日露戦争を勝ち抜き、列強の端くれに名告りを上げたばかりでした。欧米に負けてはならじと、坂道を喘ぎ喘ぎ上ってきて、やっと高みに辿り着いた時期でした。
 世界の歴史を振り返れば、日本が遠くヨーロッパにまで知られるようになったのは、マルコ・ポーロが「東方見聞録」に、東の涯に黄金の国ジパングありと書いてからです。それは大モンゴル帝国がユーラシア大陸を席捲し、空前の大帝国として君臨していた時代でした。その後、世界の覇権は16世紀のスペインを皮切りに西欧諸国を経巡り、大英帝国にアメリカが取って代わったのが我々が生きてきた20世紀でした。そして21世紀に入り、いよいよアジアの時代だと言われはじめたこの時期に、我が国は世界に冠たる借金大国に成り果ててしまいました。今や「われわれはどこへ行くのか」と途方に暮れるばかりです。
 ところで、近頃ではあまり使われなくなりましたが、「高ころび」という言葉があります。下から上まで分不相応に駆け上った者が、一転して転げ落ちて行ってしまうことです。日本は戦前は軍事大国として、また戦後は経済大国として登り詰めたものの、この高ころびを繰り返してしまいました。その原因は、過信・慢心にありましょうが、見落としてはならないことは、明治の日本を主導した人たちは、富国強兵を一体のものとして捉えていてバランス感覚を堅持していたのに対して、高ころびを二度も繰り返した昭和以降の人たちは、軍事力だけに、また経済力だけに偏りすぎて、結局は転落してしまったという事実です。何事にせよバランスを欠いたのでは早晩崩れ落ちることは必定です。
 それはさておき、東シナ海をはじめ四海に波風が立ちつつある現在、再び富国強兵策を取るべきだと言えなくもないでしょう。しかし、それは一面的なパラドックスであり、国是とはなりえないでしょう。何故なら、世界の人口の激増が止まらない中で、少子高齢化により人口の減少が続いていく日本は、もはや富国強兵策が成り立つ前提を欠くからです。若者と老人の数のバランスを崩してしまった国には、採るべき方策は限られてしまいます。坂道を上ろうにも、ずっしりと背負い込んだ重荷に耐えかねてズルズルとずり落ちて行き、それを横目に後から上ってきた者が次々と追い越していく、というのが今描かれつつある近未来の日本の姿です。これを元の姿に戻すのは至難の業です。
 ここでじっくりと考えてみるべきことは、ゴーギャンが画いたタヒチの人たちは、恐らく、自分たちがどこから来てどこへ行くのかとか、自分たちは何者なのかということなど、考えもしなかっただろうということです。それでいて彼らは、タヒチを南太平洋の楽園として暮らしていたのです。タヒチに来てそれを思い、作品に画いてそれをタイトルにしたのはゴーギャンその人なのです。自然と調和しながら、何世代にもわたり平穏な生活を続けているタヒチの人たちに、彼は人間社会の在り方の原点を見たのだと思います。
 岐路に立つ日本に暮らす私たちも、自分の原点を今一度問い直してみるべきです。千四百年前に、聖徳太子が「和を以て貴しとなす」と明確に指針を示されて以来、私たちの祖先は、人に対してばかりか山川草木に対してさえも、この精神を生かし伝えてきました。その過程で育まれてきた様々な有形無形の文化こそ、私たちの貴重な財産です。
 弱体化しつつある国力を再生するには、弱点にメスを入れることも必要ですが、強みを生かすことも大切です。我が国には各地域毎に微妙に異なる風土があり、そこに暮らしてきた人たちが、それぞれ独自の文化を築いてきました。そこに通底するのは和の精神です。この連綿と受け継がれてきた和の精神を軸とする多種多様な文化を、そこに暮らす人たちの心の豊かさが自ずと滲み出ているものへと磨き上げていく、そこに私たちは活路を見出していくべきではありませんか。
 私たちは、これからどこへ行くのか、そこで何をするのか、それは自分の意志で決めればよいことです。ただ、帰巣本能とも言うべきものを失ったのでは鳥獣にも劣ります。豊かな心の故郷こそ私たちが来たところであり、また帰って行くべきところなのです。


半田商工会議所 副会頭 筒井保司((税)経世会 代表社員)


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大震災後の地方のヴィジョンを描け(平成24年8月号)

2012年7月29日(日)
大震災後の地方のヴィジョンを描け(平成24年8月号)  東日本大震災から一年以上が経過した。昨年の今頃は早急な復興がいわれ、政府の復興会議による答申もだされた。そして、その後、どうなったのだろうか。
 復興の道筋がどのようになり、どれだけ復興したのか、ほとんど見えてこない。この復興はただ東北だけのものではなく、日本全体の今後の姿を先取りするものである、などといわれた割には、その姿はまったく見えてこない。
 一年あまりたって改めて振り返って、この大震災はわれわれにいかなる教訓をもたらしたのだろうか。こう考えてみると、いささか虚しくもなるのではないだろうか。
 この一年あまりの目立った動きは何だったであろうか。管首相から野田首相への首相交代と消費税の増税、そして大坂における橋下旋風ぐらいである。原発は再稼働問題で迷走し、先に述べたように復興の道筋も見えない。
 この大地震のもたらしものはたいへん大きい。それはまずなにより、日本が巨大地震の巣の上に立地した特異な国だということを改めて知らしめたのであった。しかも、今後、首都直下型も含めて巨大地震が連続する可能性がきわめて高くなった。となれば、もっとも緊急の課題は、危険が予測される地域の防災であり、首都機能の移転である。これらは、大規模な公共投資を必要とするとしても、すぐにでも着手しなければならない。
 同時にまた、地域やコミュニティの安全性や人々のつながりを確保できる地域づくりであり、さらには、緊急時を含めた医療体制の整備である。地域での人々のつながりを確保するのは、第一義的には、地方行政と地方の経済界や市民の連携によるものであるが、その大きな枠組みを提示するのは中央の政府である。
 こうして大地震後に火急になすべき課題は明瞭だと思う。だがまた、これらの課題は、決して大地震の教訓ときたるべき地震へ向けた防災というだけではない。実は、それ自身、今日の日本の経済問題や政治上の課題とも無関係ではない。
 今日の日本経済も最大の問題は、長期にわたる不況であり、十数年にわたるデフレ経済である。しかも、ギリシャ財政危機に始まったEU危機は、スペイン財政危機をへて深刻な局面に推移しつつある。このような不安定なグローバル経済のなかで、日本経済を安定させ、デフレを克服するには「意味ある」公共投資しかない。
そして、何が「意味ある」公共投資かを決めるものは、将来へ向けた国家像と地方のヴィジョンを描くこと以外にないだろう。公共投資の規模は必ずしも大きくなくてもよい。そこに民間資本を呼び込めばよい。そのためには、ともかくも、防災、安全性の確保、少子高齢化による社会変化などを総合した上での国土と地方生活のヴィジョンを描き出すことが必要となるだろう。それはまた、この十数年いわれてきた地方分権を押しすすめる具体的な方策ともなるはずである。これは、防災、デフレ克服、地方分権化という三つの課題への対応ともなる。だがそのためには、それ相応のヴィジョンを描き出すことが不可欠なのである。

京都大学大学院人間・環境学研究科 教授 佐伯啓思

(さえき・けいし プロフィール)
昭和24年奈良県生まれ。東京大学大学院博士課程(経済学)修了後、滋賀大学経済学部などを経て、平成4年より京都大学総合人間学部教授。現在は京都大学大学院人間・環境学研究科教授。主要な研究分野は、現代の政治・経済を思想史の見地から分析すること。最近の著作として、『自由と民主主義をもうやめる』(幻冬舎新書)、『日本という価値』(NTT出版)などがある。


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