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老舗に学ぶ(平成24年5月号)

2012年5月17日(木)
老舗に学ぶ(平成24年5月号)  東日本大震災を契機に、日本の経済社会は一段の混迷を深めており、“存亡の危機”を意識せざるを得ない状況に置かれている中小企業も少なくないと思われます。こうした中、長い歴史を持つ「老舗」があらためて注目されています。ここでの「老舗」とは100年、200年あるいはそれ以上「あきない(商い)」を続けることができた企業を指します。
 「老舗」の“底力”や事業継続力の源泉となっているのは「長い歴史をここで途絶えさせてはならない」という経営者および従業員たちの使命感ならびに取引先や地域社会と共に築きあげてきた信用ではないかと思います。「老舗」という言葉は辞書では「伝統や格式・信用がある店。由緒正しい古い店。」とあります。しかし現在、この老舗を取り巻く環境が厳しくなりつつあります。「伝統や格式」「由緒ある」というだけでは店を営むのは難しくなってきているのです。
 少し言い方を変えれば、伝統とか年輪の積み重ねとか、そのものが醸しだす風格や品位といったものでは人を惹きつけることが困難な時代になったということです。現代人の多くが、過去の実績や積み重ねの恩恵を有りがたく思うよりも、将来に期待できるもの・わくわくするものに関心を抱くようになってきている傾向にあると考えます。
 「変化するもの、いままでに無かったもの、初めて目にするもの」でなければ興味を持っていただけないのです。老舗と言われる企業は、このことに気づいてないように見受けられます。また、気づいてはいても新しいものへの取り組み自体が、新規の事業を立ち上げる時とは同じようにはいかないものであります。
 「今までのやり方に間違いはなかった。その証拠に何の問題も起こらなかった。これまでにやらなかったことを新たに取り入れる行為が問題発生につながる。だからこそ、前例のないものに手を出してはならない」と伝統を守ることにこだわってしまいます。誰でも新しいものを取り入れることや新しい風に対してはすこぶる慎重になるものです。実際のところ、経営者には誰でもプライドがあり、台所事情がいかに苦しくともなかなか相談できないものです。突然飛び込んでくるニュースが世間を驚かせる背景には以上のような事情が内在しているものと考えられます。
 しかし、どんなに厳しい環境でも、外的要因に負けず、社是・社訓を忠実に守りながら逞しく生き抜いている老舗もたくさんあります。日本は、老舗大国です。私どもの住む知多半島の中にも歴史ある老舗がたくさんあります。皆さん長い歴史の中で数々の危機を智恵と工夫で乗り越えてきた「老舗」です。長い商いの中で積み重ねてきた経験の中に必ずや現代に活かせる術があるものです。時代のトレンドを読み、ほんの少し発想を変えれば、老舗を蘇らせるヒントも必ずやあると信じます。人に寿命があるように老舗の経営にも「長生きの秘訣」がきっとあると考えています。


半田商工会議所 副会頭 榊原康弘(知多信用金庫 理事長)


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5月の風とともに「まち探訪&散策」のおすすめ(平成24年5月号)

2012年5月10日(木)
5月の風とともに「まち探訪&散策」のおすすめ(平成24年5月号)  5月の季語を調べてみると「薫風(くんぷう)」「軽暑(けいしょ)」「新緑(しんりょく)」などがあります。いかにも、薄着になり、心も軽やかに、青葉と穏やかな日差しのなか、散策をしたり買い物を楽しんでいる光景が浮かんできます。
 半田市観光協会が発行している「蔵のまちMAP」や「南吉の里MAP」、「ウォーキングコース〜今昔街道JR武豊線と明治天皇が眺めた風景半田」などのコンパクトな資料を片手に、「まち探訪&散策」をたのしんでみてはいかがでしょう。何度も訪れたことがある場所でも、新たな発見や出会いがあることと思います。

・探訪&散策スポットその1 「半田運河周辺」
 恒例の半田運河の鯉のぼりは、4月20日〜5月6日で飾ります。歩道整備が行われた東雲橋あたりまで足を延ばしてみてはいかがでしょう。
5月3日〜5日は、「はんだ蔵のまち端午の節句」イベントが行われます。赤レンガ建物、博物館「酢の里」、國盛酒の文化館など、地域の歴史や産業を伝える施設を巡っていただくことができます。

・探訪&散策スポットその2 「知多半田駅前周辺」
 知多半田駅前のクラシティ半田は、今春オープンから6周年を迎えました。5月11日(金)〜13日(土)の周年祭では、「6」をキーワードに参加型のイベントが行われます。「6年前?」「16年前?」「60年前?」の知多半田駅前はどんなふうだったでしょう。親子で3世代で、イベントの行き帰りにぶらり歩きをたのしんでみてはいかがでしょう。5月13日には、おおまた公園で「るつぼっくり広場(10時〜15時)」が開催されます。フリーマーケット・ライブが楽しめます。

・探訪&散策スポットその3 「亀崎」
 5月3日・4日には潮干祭が開催されます。4日は、JR亀崎駅スタートのハイキングがあり、武豊線乗車とまち歩きを楽しむことができます。立川美術館では、「再興立川展〜諏訪立川流と知多の匠たち」が6日まで開催中です。

・探訪&散策スポットその4 「岩滑」
 秋の彼岸花で有名な矢勝川堤の5月は、まさしく青葉が清々しい散歩道です。新美南吉記念館近くのお花畑ではポピーが迎えてくれます。新美南吉記念館では、5月13日まで「南吉と精文館の児童雑誌」というミニ展示を開催中です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
知多半田駅前観光案内所
先月号でお伝えしましたように「知多半田駅前観光案内所」は、半田市市民交流センター内で場所を移動し営業を始めました。
営業時間…9時〜18時   定休日:第4水曜日
営業内容…観光情報の発信・レンタサイクル・手荷物一時預かり・クラシティ半田駐車場の
     回数券販売など
TEL 0569-32-3264 FAX0569-22-4321
E-mail:info@handa-kankou.com


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◆◆◆5月31日は世界禁煙デーです◆◆◆

2012年5月7日(月)
*たばこは百害あって一利なし!
たばこの煙には、約4000種類の化学物質、約200種類もの有害物質、約50種類の発がん物質などが含まれています。たばこは、がん全般・COPD(慢性閉塞性肺疾患)・脳疾患・心臓疾患等、全身に影響を及ぼします。禁煙をすれば、たばこ代も浮き、気分も体も楽になりますよ。現在は、薬や禁煙外来のある病院でも治療ができます。一度相談するのも一つの手段です。
*歯とたばこは深く関連します!
たばこの煙は粘膜で吸収されて歯ぐきやあごの骨を破壊します。そのため喫煙者では、歯周病が進行しやすいのです。

◇歯とお口の健康は全身の健康の源です◇
*あなたは歯周病ではありませんか?
10歳代から始まり、40歳代で急増しています。歯周病は無痛のため、自分では気付かないうちに進行しています。虫歯や歯周病は、胃腸障害や頭痛・肩こり、狭心症等の心臓の病気や糖尿病など全身の健康状態まで影響を及ぼします。食後や就寝前の歯みがきはもちろん、定期的に歯科健診を、半年に1回は受けましょう。
半田市保健センター


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半田市内の文化財探訪 その8(半田東地域)の第8回

2012年4月27日(金)
大富豪の邸宅が櫛比していた町並み

@ 小栗三郎家
A 末廣本店
B 小栗喜左衛門家
C 小栗七左衛門家
D 中埜半左衛門家
E 中埜半六家
F 小栗冨治郎家

B小栗喜左衛門家
現在の「魚太郎蔵のまち」の場所とその南付近にあった。明治23年第一回陸海軍大演習の時は文部大臣榎本武揚の宿舎を務めた。

C小栗七左衛門家
小栗家の本家筋にひとつ。元禄の初め頃三河国から半田に移住、海運業で産をなした。
 阿久比川の治水をかねて元禄八年、山方新田を同族の小栗三郎左衛門と共に築造。溜池として矢勝谷に半田池を築造し、矢勝川、十ヶ川経由で用水を山方新田に導く大工事を成し遂げた。

D中埜半左衛門家
中埜一統の本家。安永元年(1772) 半田に生まれた六代目が庄屋として善政を敷く。酒造業も手がけたが、大地主として盤石の地位を築く。長期にわたって半田の指導者を輩出する。大演習時は宮内大臣土方久元の宿舎を提供。
昭和12年半田、亀崎、成岩3町が合併して市制を敷くや初代市長に当選、昭和21年3月まで戦中の難しい時期の市政に取り組む。市長を務める傍ら昭和17年4月の第21回総選挙で衆議院議員に当選、国政と市政に尽力した。

E中埜半六家
中埜半六家は代々の半田の富豪である。享和3年(1803)から内海村の前野小平治らと共に尾張藩御用達在郷十人衆に選ばれた尾張でも抜きんでた名家である。
六代目半六は小鈴谷村の森田家から養子に入った人で、盛田久左衛門の息子であるから幕末の有名な盛田命祺の兄ということになる。この六代目は名古屋の秦滄浪に経学を学び、帳簿その他事務の整理が巧みであった。自分が考えだした簿記法があり、現在の複式法に似ているという。小栗冨治郎家や井口半兵衛の諸家に伝わったという。
大正の初め頃、現在の知多半田駅近くにドイツ風別荘を建てた。それが現在「中埜家住宅」として国の重要文化財(建築物)に指定されている。
大演習の時は明治天皇の御典医の宿舎であった。

F小栗冨治郎家
中埜半六の小僧から一代で巨額の財産を築いた立志伝中の人。 
父喜七は中埜半六船の船頭であった。冨治郎は幼い頃半六の小僧となり商売を学んだ。半六は冨治郎の才能を見込んで父喜七のあとを継がせて船頭に抜擢した。18才の時のことである。初めて江戸へ航海したとき、江戸に父親の借金が多くあって、それを返済したら帰り荷が買えない状態に陥った。
冨治郎は空船で帰ることをよしとせず、運を天に任せて蝦夷を訪れ、残りの米などの荷物をそっくり乾鰯などの肥料と交換し、また、なけなしの金をはたいて肥料(乾鰯)を買えるだけ買い込んで帰路についた。折から農業にも商品作物化の波が押し寄せていて、農家が金肥を使うようになっていたため、蝦夷から積んで帰った肥料が飛ぶように売れたという。この一航海で多額の父親の借財を返済したばかりか、巨額の収入を上げたという。
32才の天保7年(1836) 船頭をやめ蓄積した巨額の冨を利して、醸造、海運、金融に経営を始めた。番頭として後の亀崎の指導者井口半兵衛が冨治郎の指導を受け、後に独立して亀崎の財閥になるのである。
経営方針として「天事のこと三足を張れば転倒せざるが如く、一過もまた三業を要す。一業若しくは二業なれば一業にして失敗すれば忽ち危険となるを免れざるを、若しくは三業なれば一業失敗するも他の二業之を支持することを得べし。故に余は船、酒及び金貨の三業を以て鼎足(ていそく)とすと」また、家人を諭(さと)して「利益ある時は益々節倹を思ひ損失ある時は寧(むし)ろ放心すべし」と話したという。
また、本人は百萬の資産を有しその実力は輝かしいものがあるにもかかわらず、尚謙虚で人後に立ち奢らなかった。また、主家である中埜半六家を訪れるときは、必ず綿服に藁(わら)草履(ぞうり)を履き、勝手口からしか上がらなかったといわれる。
彼は明治23年1月に86才で亡くなったので、大演習に際して明治天皇がお泊まりになり、その日は大本営となった当家で接待をしたのは息子の2代目冨治郎だということになる。


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◆◆◆アルコールについて◆◆◆

2012年4月5日(木)
 新年度に入り、歓迎会やお花見などでお酒を飲む機会が増える方も多いのではないでしょうか。今回はアルコールについてお伝えします。

【上手なお酒の飲み方のポイント】

・適量(1日1合以下)を守る
(目安:ビールなら500ml、焼酎なら1/2合、日本酒なら1合 程度)
・ おつまみなどを食べながら飲む
(大豆や肉、魚、卵などのたんぱく質には二日酔いを防ぐ効果があり、豚肉や魚介類などに多く含まれているビタミンB群には脂肪肝を防ぐ効果があります)
・ 楽しい雰囲気で飲む
・ お酒のほかにお茶やお水などの水分を摂る
・ 空腹で飲まない(低血糖や急性アルコール中毒を引き起こす恐れがあるためです)
・ 毎日飲まない(休肝日を週に2日連続で設けましょう)

【休肝日の効果】

アルコールの分解は肝臓で行われており、飲みすぎは肝臓に様々な障害を引き起こします。あなたが休日にゆっくり晩酌を楽しんでいる間も肝臓はせっせと働いているのです。そんな頑張り屋の肝臓にもたまにはお休みをつくってあげることが大切です。肝臓が病気になってしまったら、もうお酒は飲めなくなる恐れもあります。これからも楽しくお酒と付き合っていくためにも、肝臓に負担をかけない飲み方を心がけましょう!

「酒は百薬の長」という言葉が古くからあるとおり、飲み過ぎずに適量を守れば、ストレス解消やリラックス効果で1日の疲れを癒してくれます。自分のペースでゆっくりと味わい、楽しく飲むようにするのが一番です。

半田市医師会健康管理センター


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半田市内の文化財探訪 その8(半田東地域)の第7回

2012年3月23日(金)
小栗家住宅 <国指定登録文化財>

 江戸期から明治にかけての豪商小栗三郎家(三郎兵衛という時期もある)が
それである。道を挟んだ東側の小栗家から分家したといわれている。碧海郡に
小栗新田を開いたことでも知られる。現在旧店先を「半田市観光協会」が借用
しているが、平成16年、次の八つの部分に分けられて国指定登録文化財として
の指定を受けた。
 小栗家住宅主屋(明治3年築)、小栗家住宅表門(明治前期)、小栗家住宅
辰巳蔵(明治前期)、小栗家住宅書院(明治前期)、小栗家住宅茶室(明治期
前期)、小栗家住宅渡廊下(明治前期)、小栗家住宅北座敷(明治前期)、小
栗家住宅離れ(大正4年)。
 当家には数多くの話題が残されているが、今回はふたつの話題を紹介する。

(1)慶応3年、お札降りがあった
 慶応3年9月25日夜半に天照皇大神宮のお札、26日早朝には熱田神宮のお札が
更に数日後にもう一枚の降札があった。小栗家では目出度いことだと考えて早
速仮社殿を店に造り、御神酒、鏡餅を供えて10月3日頃までお祀りをしたところ、
近所だけでなく遠方からも多くの人々が昼夜を分かたず参詣に訪れた。小栗家
ではそれらの人々に夜は篝火を焚き酒を振る舞ったり、食事を出してもてなし
たりした。人々は酒に酔い神楽獅子や思い思いの芸で踊り続けるのであった。
有名なお札降りがあった家のひとつである。

(2)第一回陸海軍大演習前夜の参謀総長有栖川(ありすがわ)熾仁(たるひと)
親王殿下の宿舎
 明治23年3月30日夜、明日の半田町、亀崎町乙川での陸軍の演習に供えて、
参謀総長を務めた明治天皇の従兄弟君、有栖川(ありすがわ)熾仁(たるひと)
親王の宿舎となってのが小栗邸であった。有栖川宮は副官の川上繰六陸軍少将
を伴って宿泊した。小栗家では有栖川参謀総長には会議用の大部屋を含めて3部
屋を、川上少将には2部屋を提供すると共に、その他お付きの佐官5名、尉官4名
の全てに一部屋ずつ提供したというから、いくつ部屋あるのだろう。当時の御
当主小栗三郎兵衛氏は筆まめな方であったから、この出来事の詳細な記録をつ
けられた。その一つに殿下に差し上げた夕食の献立がある。献立も含めて抄録
する。

三月二十九日 朝曇 五十七度K

1,有栖川宮殿下 来宅
1,川上少将 小川大佐 川村大佐等到着
1,名古屋第一警察署巡査 島田藤市(警護)
1,夕めし献立
  皿 大鰻長焼  汁 白切身
  平 ソップ 鳥スキ丼
  ふき 小口人参煮
  御飯 切込玉子大巻 刺身
  吸物 むし

三月三十日
1,殿下献立
  向付 汁 平飯 切込 海苔
  刺身(黒鯛) 吸物 蒸し蛤
  みかん
1,川上少将 小川、川村大佐以下
  馬で武豊へ
  天皇に従うため弁当は(鳥肉入りゴモクメシ)握めし五つずつ竹皮包にて
  十五人前
1,芸妓 午後二時より午前一時まで

三月三十一日  朝 大雨 演習当日
1,殿下は 朝 牛乳 半じゅく玉子 家僕がつくる
1,陛下は午前十一時五十分 御還御
  御昼食の上 午後二時三十分 汽車で名古屋へ
1,殿下 頭巾を忘れ 名古屋より入電
  ズキン スグ ヲヲクリ タノム(以下略)


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◆◆◆3月は自殺対策月間です◆◆◆

2012年3月7日(水)
◆◆◆3月は自殺対策月間です◆◆◆
今この時も全国どこかで毎日80人ほどの方が自ら命を絶たれています。
半田市の自殺数も例外ではなく、交通事故で亡くなる方と比べると5〜6倍となっています。
【大切な人の変化に気付いてください】
身近な人の様子が、「いつもと違う」「最近元気がない」ということはありませんか。そんな時「どうしたの?」と声をかけてください。
大切な人を守る第一歩です。
気づいて、聴いて、そして相談窓口につなぐことが重要です。

自殺の原因は個人的、社会的な要因が複雑に関係しており、自殺に至るまでに多くの方が、うつ状態にあるかまたはうつ病を発症しているともいわれています。
■■■家族が気づきやすいうつ病のサイン■■■
○睡眠が十分にとれていない ○新聞やテレビを見なくなった ○食欲がない
○「だるい」「すっきりしない」などの身体症状を訴える ○飲酒量が増えた
○「仕事にいきたくない」「死にたい」と言うようになった ○口数が減る 
■■■職場の人が気づきやすいうつ病のサイン■■■
○元気がない ○笑わない ○口数が減る ○イライラしたり怒りっぽくなる ○ミスが増える ○作業能率が下がる ○遅刻・早退・欠勤が増える
☆保健センターでは随時相談をお受けしています。


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半田市内の文化財探訪 その8(半田東地域)の第6回

2012年2月24日(金)
半田運河(蔵の町の景観)

 現在では醸造蔵の黒色を穏やかな水面に映している半田運河には次のような
歴史がある。半田町の中心である下半田一帯は阿久比川の氾濫によって土が堆
積してできあがった土地からなり、近世以降に人々が住み始めて町が成立した
新興住宅地である。度重なる阿久比川の氾濫によって住宅への浸水や道路の泥
濘化に悩まされていた下半田の為政者の最大課題は「阿久比川の治水」という
ことであった。
 阿久比川改修の年代は明らかではないが、半田町史によると諸般の事情(半
田村浜新田・乙川葭野新田開拓等)から考えると万治(1658〜1660)・寛文
(1661〜1672)の頃、現在のように90度に屈曲させ衣ヶ浦へ流し、<別の説に、
元禄時代(1688〜1703) 小栗三郎左衛門、小栗七左衛門が山方新田を築造し
て阿久比川を東へ曲げたというのもある>、更に阿久比川や付属支流の悪水を
排除させるために十ヶ川を開削し、更に、上半田と岩滑村の悪水が十ヶ川に奔
注し排除が不可能となったので五番川を開削したといわれているが、半田運河
(船入江)が現在の姿になったのは次のような災害に遭遇し、下半田が大被害
を受けた事がきっかけとなっている。
 安政2年(1855)8月未曾有の大水害が発生した。洪水は白沢あたりから阿久
比川本流に沿って流下し、岩滑村内浜から下半田に流入して下半田全部が浸水
した。下町通り(富豪の集まる町)で床上3尺浸水という。十ヶ川、五番川の
堤防も各所で決壊しあふれた水は船入江に入り、内浜から来る激流と合わさっ
て坂登屋の酒蔵を倒すなど付近に大きな被害をもたらした。
 その損害が余りにも大きかったことから、それまで東進したり、山方新田の
中を流れていた十ヶ川と五番川の水を船入江に注ぎ込むと共に、船入江を拡張
して悪水排除をすべきだという意見が市井から起こった。当時、下半田に住ん
でいた庄屋三代目中野又左衛門は率先して上半田の山崎の地に住まいを移転す
ると同時に、災害の起きた8月中に船入江改修の出願を代官所へ提出した。
 当時の船入江の幅はわずか6、7間(10.8〜14.4m)程しかなく、十ヶ川と五
番川の悪水を排除することは不可能であった。三代目中野又左衛門は阿久比の
諸村と岩滑村の了承を取り付けると共に、山方新田の一部を幅18間(32.4m)
長さ315間(567m) にわたって開削し東方に流れていた十ヶ川と、山方新田の
中を流れていた五番川をまとめて新しい船入江に流し込むようにしたのである。
これによって洪水の危険はほとんど解決し、その上、広い船江が出現した。治
水と海運の両面を一挙に解決した大事業ともいえるものであり、近世末以降の
半田発展の原動力になったと言っても過言ではない。
 この功績によって三代目中野又左衛門は尾張藩から一代限りの名字帯刀を許
されている。
 

源兵衛橋

 山方新田と下半田を結ぶ橋。源兵衛が架けたかどうか不明。


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足元からのダイエット

2012年2月9日(木)
 最近、様々な形状のソール(靴底)のトレーニングシューズを、ショップや雑誌などで見かけます。例えば、つま先に角度を付けたもの、踵がないもの、柔らかく不安定ななものなどあります。この様なシューズをダイエットシューズとも呼びます。

 しかし、踵がないシューズなど10年いや、20年前から存在していました。その時代の筋力トレーニングにマッチしてなかったため、流行りませんでした。近年、トレーニング方法も加圧トレーニング、インナーマッスルトレーニング、体幹トレーニングなど様々なものが紹介されて、ソール形状の変化でそのトレーニング効果を得られるため、多くのメーカーが開発し流行となっています。

 例えば、つま先や踵に角度を付けたシューズでは、坂道を登る様な付加がつき、また歩幅も伸びるので、下半身の筋肉(大腿部、脹脛)をより鍛えられます。また、柔らかいソールシューズでウォーキングをすると、歩くためにアウターマッスル(表面の大きな筋肉)が使われますが、それと同時に不安定な足元のバランスを取るためにインナーマッスル(深層筋)が使われます。この様に普段あまり使われない筋肉をトレーニングすることで、基礎代謝が上がり、緩んだ下半身をシェイプアップできます。

 人は靴を365日履いて生活しています。なかなか運動習慣が定着しない方、種類や価格も様々ですが、試す価値は十分あります。ダイエットシューズを運動(ウォーキング)をする時だけでなく、日常生活で履いてみませんか。



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半田市内の文化財探訪 その8(半田東地域)の第5回

2012年1月26日(木)
中埜酢店(現ミツカン酢)

 「ミツカン」の商標で全国にその名を轟かせ、醸造酢では全国の70%以上の
シェアーを誇る中埜酢店の操業は文化年間(1804〜1817)の初め頃と言われて
いる。その操業にはこんなエピソードがある。
 ミツカン酢の創業者、初代中野又左衛門(1756〜1830)は酒造業小栗喜左衛
門の息子で安永8年(1779) 五代目中野半左衛門の娘くのの婿となった。彼
はくのの弟である半左衛門の跡取り七三郎(七代半左衛門)が幼少であったの
で半左衛門家の家督を預かっていたが、成人した七三郎に家督を引き渡したあ
と別家し自分も酒造業を始めた。
 彼は、文化元年(1804) 白子屋の間瀬利兵衛とともに江戸へ出かけた。こ
れは、自分が独立して再出発する機会に江戸の様子を調査するつもりだったの
かもしれない。ところが、この江戸旅行が彼の人生を変えるきっかけになった
のである。
 江戸ではこの頃、江戸湾で捕れる魚を使って「鮓(すし)」<江戸前寿司>が
作られ始めていた。江戸の町並みのそこここにあった鮓屋の存在が又左衛門の
心をとらえたようである。博物館「酢の里」の説明によるともう一つのエピソ
ードがそれに絡む。帰郷した又左衛門がある雨の日、野積みに放置されていた
酒粕の山から滴る雨水を何気なく嘗めてみたところ「酸っぱかった」ことで、
酒造業で多量に出るが肥料にしかならなかった酒粕から醸造酢を製することに
気づいたというものである。
 酢造りが快調だったことが中野家の酢造り関係最古文書「酢屋(すや)店卸
帳(たなおろしちょう)」からも分かる。文化7年(1810) という年は江戸積
みの酒の値段が大きく下落した年であったが、その年には既に酢造りを行って
いたと書かれており、更に、酢造りは快調で最初の9ヶ月で107両余の売り上
げ、文化10年(1813) には232両、文政18年(1828) には1000両を超
える売り上げがあったと書かれている。
 又左衛門は酒造では「増(ます)蔵屋(くらや)三六」と名乗っていたが、
酢造りでは「酢屋勘治郎」という屋号と「丸勘(まるかん)」の樽印を使ってい
た。文化13年に二代目に家督を譲ったが経営は順調で天保9年(1838) には
4000両を売り上げ、1000両の利益をあげている。
 三代目又左衛門になると元治元年(1864) の売り上げは二万両に迫り、こ
の年には酒造業をやめて酢造り一本に切り替え安定した経営がなされるように
なり、我が国津々浦々に知れ渡る大産業に成長するのである。

中埜銀行跡(現在はミツカン酢研究所)

 明治に入って産業革命の大波が当地へも押し寄せてきた。江戸時代に醸造業
と海運で巨万の富を得ていた多くの実業家達は争って近代産業に資本を投下し、
当地の産業活動は隆盛の一途をたどっていった。それに伴い商業活動も活発化
し知多商業会議所(半田商工会議所の前身)が現在の半田商工会議所の東あた
りに設立された。
 産業の発展は金の動きを活発化しいくつもの銀行が開業した。明治14年
(1881) 半田銀行、明治26年亀崎銀行、明治34年(1901) 中埜銀行が設
立された。ここがその中埜銀行の跡である。ちなみに、外部資本によって第百
三十六国立銀行(政府認可の為替を取り扱う銀行)、三井銀行半田支店が開業し
ている。


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