
印象派の画家ゴーギャンの代表作に「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」があります。彼が晩年に定住したタヒチは、その作品によって、南太平洋の楽園として世界に紹介されました。丁度その頃、日本は富国強兵を国是として日清・日露戦争を勝ち抜き、列強の端くれに名告りを上げたばかりでした。欧米に負けてはならじと、坂道を喘ぎ喘ぎ上ってきて、やっと高みに辿り着いた時期でした。
世界の歴史を振り返れば、日本が遠くヨーロッパにまで知られるようになったのは、マルコ・ポーロが「東方見聞録」に、東の涯に黄金の国ジパングありと書いてからです。それは大モンゴル帝国がユーラシア大陸を席捲し、空前の大帝国として君臨していた時代でした。その後、世界の覇権は16世紀のスペインを皮切りに西欧諸国を経巡り、大英帝国にアメリカが取って代わったのが我々が生きてきた20世紀でした。そして21世紀に入り、いよいよアジアの時代だと言われはじめたこの時期に、我が国は世界に冠たる借金大国に成り果ててしまいました。今や「われわれはどこへ行くのか」と途方に暮れるばかりです。
ところで、近頃ではあまり使われなくなりましたが、「高ころび」という言葉があります。下から上まで分不相応に駆け上った者が、一転して転げ落ちて行ってしまうことです。日本は戦前は軍事大国として、また戦後は経済大国として登り詰めたものの、この高ころびを繰り返してしまいました。その原因は、過信・慢心にありましょうが、見落としてはならないことは、明治の日本を主導した人たちは、富国強兵を一体のものとして捉えていてバランス感覚を堅持していたのに対して、高ころびを二度も繰り返した昭和以降の人たちは、軍事力だけに、また経済力だけに偏りすぎて、結局は転落してしまったという事実です。何事にせよバランスを欠いたのでは早晩崩れ落ちることは必定です。
それはさておき、東シナ海をはじめ四海に波風が立ちつつある現在、再び富国強兵策を取るべきだと言えなくもないでしょう。しかし、それは一面的なパラドックスであり、国是とはなりえないでしょう。何故なら、世界の人口の激増が止まらない中で、少子高齢化により人口の減少が続いていく日本は、もはや富国強兵策が成り立つ前提を欠くからです。若者と老人の数のバランスを崩してしまった国には、採るべき方策は限られてしまいます。坂道を上ろうにも、ずっしりと背負い込んだ重荷に耐えかねてズルズルとずり落ちて行き、それを横目に後から上ってきた者が次々と追い越していく、というのが今描かれつつある近未来の日本の姿です。これを元の姿に戻すのは至難の業です。
ここでじっくりと考えてみるべきことは、ゴーギャンが画いたタヒチの人たちは、恐らく、自分たちがどこから来てどこへ行くのかとか、自分たちは何者なのかということなど、考えもしなかっただろうということです。それでいて彼らは、タヒチを南太平洋の楽園として暮らしていたのです。タヒチに来てそれを思い、作品に画いてそれをタイトルにしたのはゴーギャンその人なのです。自然と調和しながら、何世代にもわたり平穏な生活を続けているタヒチの人たちに、彼は人間社会の在り方の原点を見たのだと思います。
岐路に立つ日本に暮らす私たちも、自分の原点を今一度問い直してみるべきです。千四百年前に、聖徳太子が「和を以て貴しとなす」と明確に指針を示されて以来、私たちの祖先は、人に対してばかりか山川草木に対してさえも、この精神を生かし伝えてきました。その過程で育まれてきた様々な有形無形の文化こそ、私たちの貴重な財産です。
弱体化しつつある国力を再生するには、弱点にメスを入れることも必要ですが、強みを生かすことも大切です。我が国には各地域毎に微妙に異なる風土があり、そこに暮らしてきた人たちが、それぞれ独自の文化を築いてきました。そこに通底するのは和の精神です。この連綿と受け継がれてきた和の精神を軸とする多種多様な文化を、そこに暮らす人たちの心の豊かさが自ずと滲み出ているものへと磨き上げていく、そこに私たちは活路を見出していくべきではありませんか。
私たちは、これからどこへ行くのか、そこで何をするのか、それは自分の意志で決めればよいことです。ただ、帰巣本能とも言うべきものを失ったのでは鳥獣にも劣ります。豊かな心の故郷こそ私たちが来たところであり、また帰って行くべきところなのです。
半田商工会議所 副会頭 筒井保司((税)経世会 代表社員)