半田商工会議所 THE HANDA CHAMBER OF COMMERCE & INDUSTRY

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お手頃価格で、地域に花を

2023年12月27日(水)

長文種苗店

 日本の都道府県で、花栽培が一番盛んなのはどこか、ご存知でしょうか?そうです。「愛知県」です。愛知県は、昭和37年から花の産出額が日本一であり、品目別でも、菊、洋らん、バラ、観葉植物は日本一の産出額を誇る「花の王国」です。県東部の豊川流域および渥美半島で盛んに切り花栽培が行われ、大規模な温室栽培のビニールハウスが各所でみられます。

 さて、知多半田駅前には、昔から「長文種苗店」という花屋があります。花の取り扱いを主としていますが、種苗店という名前の由来は、先代が七味唐辛子や苗を主として販売していた名残である。
代表の野々村氏は、岐阜にて5人兄弟の四男として育ち、学卒後、名古屋園芸に12年勤めた。幼い頃から花に興味があり、天職についた代表は、その際に知り合った奥様と結婚し、奥様の実家である「長文種苗店」の跡取りとして半田の地にて居住を始めた。
 花の仕入れは、豊明の花き地方卸売市場から行い、常に新鮮な花を提供して43年。ベテランの域に達した代表でも、「生産者によって鉢花や苗の水のやり方には気を遣う。花1つ1つの性質は全然違う」と、日ごろの管理には注意している。

代表には、花屋の顔の他に商店街の顔も存在してい
る。長年商店街活動に携わり、半田ランブリングタウン協同組合の初代理事長、そして現在は半田市商店街連合会の会長を務め、地元の方からは「長文さん」という愛称で慕われている。
 そんな長文さんの現在の日課は「夜の散歩」。健康促進のために、商店街の仲間と実施し、「最近は足が少し痛む時がある」と語るが、足の痛み以外は、とても元気な74歳である。また、屋上で菜園を作り、ブロッコリーやピーマン、夏にはナスやキュウリ、トマトなどの栽培を楽しんでいる。

 「開店祝いや退職祝いなど、シーン別や予算別、花のスタイル別に花ギフトを提供しています」と話し、「例えば、開店祝い・開業祝いに花を選ぶ際のポイントは、香りが少ないこと(香りが強い花は、近隣やお店の迷惑になることも。特に飲食店の場合は避けた方が良い)、花粉が出ないこと(花粉症や花粉が周りを汚してしまうこともある)、赤色ではないこと(コーポレートカラーを除き、火を連想させる)」などの、豆知識をご教授いただいた。その時の、満面の笑みからは優しさが滲み出ていた。
ぜひ一度お店に立ち寄り、「長文さん」と声をかけてみてほしい。きっと人柄の良さが伝わるはず。 (取材:中満信宏) 
                
【住所】半田市南末広町122-2 
【代表】野々村照義
【営業時間】9:00~19:00
【TEL】21-1520 
【定休日】不定休



愛しい仔をご自分で作ろう

2023年12月27日(水)

justy-house 三林 利依さん

 「どんなお仕事なの?」と聞かれると何とお答えしたらよいか戸惑います。ただ「愛する我が仔を、羊毛を用いてご自身で生み出して頂くお手伝いをする“寄り添い人”」でありたいと、心に何時も留めております。ですから「羊毛フェルト作家」「羊毛フェルト教室の先生」とは違う気がして、お答えするのに困ってしまうのです。
 私は小さい時から絵を描くことが好きで「将来の夢は画家」と小中高の卒業文集に書くくらいで、芸大に入り日本画を学びました。でも就職先は画とは全く無縁でした。ある時、お友達の愛犬を描いてプレゼントした際に、そのお友達が大変に喜んでくれまして、それを見て私も嬉しくて「やはり画を描くことが好き」と改めて感じたのが転機となり鉛筆画を始めました。
 ほどなくして羊毛でワンちゃんを作っているのをテレビで見かけ「私にも出来るかな?」と見様見真似の独学で、試行錯誤しながら生み出したのが愛犬「justy」で、これが羊毛との出会いであり、始まりでした。鉛筆画と並行で羊毛で作った作品をネット販売したところ、有難いことに好評で、いつしか自分で生み出すこの喜びや楽しさを教室を開いてお伝えしたいと思うようになりました。
 しかしその当時、愛犬の「justy」が不慮の事故で下半身麻痺の状態で介護が必要だったために「justy」への時間を最優先しました。介護は振り返れば大変だったと思いますが、それ以上に彼(justy)から教えられ支えられたことが多かったのだと痛感しました。何故なら彼は下半身麻痺にも関わらず車椅子を器用に乗りこなし、健常だった時と変わらずにフリスビーを全力で追いかけて遊ん
だのです。その姿を見て私もどんな時も「全力で楽しむ」ということの大切さを学び教えてもらったのです。
 これが「justy-house」の始まりです。「justy」をお空へ見送ってから、市内の手芸屋さんの片隅でスタートしたお教室はなかなか生徒さんも集まらない状態でしたが、地道にSNSを使ってオリジナル作品やお教室の様子を公開したり、フリスビー仲間やお教室に参加した方がまたそのお友達をお誘いしてくださったり、開催場所を提供してくださる方がいたりと皆様に支えて頂きながら、お陰様でお教室を始めさせていただいてから10年を迎えることができました。
 思えば私は周りの皆様に恵まれ、また大切な可愛い一人息子や父が遺してくれた描くことが好きなDNA、母が与えてくれた画を描くチャンス、私を取り巻く全ての事柄や仲間たちが、今に繋がっているのだなと思います。心から感謝の気持ちを伝えたいです。
 そんな片隅から始まりましたお教室も、今では半田商工会議所さんをお借りし開催させて頂くまでに成長いたしました。半田教室には市内外から通われている方はもちろん、県外の方の参加もありとても賑やかです。今は埼玉県から岡山県まで約10箇所のお教室に加え「プライベートレッスン」もご要望があれば随時お受けしております。お教室にご興味のある方はぜひ半田教室に見学にお越しください(事前にお問合せ頂くとスムーズです)。
 お金を出せば何でも手に入る時代ですが、オーダーではなく愛しい我が仔をご自分で生み出せる喜びを知っていただけたらと思います。またお教室で心掛けていることは、その日羊毛が初めての方でも3時間で我が仔を生み出していただける内容にすることです。事前に生み出す仔の写真を数枚お送り頂き、毛色に合わせた羊毛をご用意させて戴きます。当日の持ち物は我が仔への愛情です!(笑)。
 我が仔の写真をじっくり見ながら生み出していくのですが、その時に新たな発見や驚き、感激、感動があります。ペットロスだった方も写真を見ながら手掛けていくうちに心が癒されて「気持ちが落ち着いた」と話してくださいます。自らの手から誕生した小さな我が仔を、愛おしそうに喜ばれて連れ帰られる姿を見ると私も嬉しくなってしまいます。
 私はご自身で生み出して頂くことに大きな意味があると思っています。想いはそれぞれ表し方があると思いますが、その中のひとつとして羊毛で‘カタチ’にすることにより、想いも強くなり思い出作りにも繋がっているのではないかな?と考えたりします。この10年で私も4頭の愛犬を見送ってきたので、少しでも皆様の気持ちに寄り添えたらと改めて感じています。
 justy-houseはお教室を開始して今年10年を迎えます。その区切りとして今年10月に滋賀県で開催する私と生徒さんたちの作品展に向けて「justy」が教えてくれた「全力で楽しむ」を心に記して精進していきたいです。



酒屋とソース作りでバランスよく

2023年11月29日(水)

豊田屋酒店

今回、昔ながらの町の酒屋、昭和2年創業の豊田屋酒店に伺った。人との関わりをご縁に商いを続けまもなく100周年を迎えようとしている。
 野間にある酒屋の三男坊の清吉氏が人の往来が多い半田でお店を構えたのが始まりである。当時、当店は病院に行く人や小僧さんの立ち寄り場として人の出入りがよくあり賑わっていたそうである。戦後の混乱期、酒屋として続けられなくなるかもと思い酒の代わりになるものをと考えたのがソース作りであった。当時、調味料不足であったのだが、近所で取れる野菜や美浜の塩等が調達できたことから知人に教えてもらいながらソース作りを始めた。それ以来、酒屋とソース作りの豊田屋食品製造所の二本柱として生業をしている。
 2代目の克己氏が更に美味しさを追求し試行錯誤を続けたことで塩辛さ、酸っぱさ、香りと申し分ないソースを作り上げた。そのソースは、初代の名を使って「清吉つぁんの手造りソース」として売り出された。特に焼きそばに合うと言う。タマネギやトマトなどの野菜を煮て、塩や砂糖などを加えてアクを丁寧に取り除く。カラメルで色を付け、酢と香辛料を入れて後は味が落ち着くまで寝かせる。2 年前から長男の誠氏も加わり家族3人でソースの仕込みをしている。大きな釜を前に蒸気がモクモク。匂いも漂いまさに手作りである。ソースの基本はそのままに、商品ラインアップを広げている。ソース作りを継承したいと勤めをやめ婿入りした3代目の芳彦氏や長男の誠氏と代々、味を守り続けている。お客様へ丹精込めて作ることをモットーにしている。
 その味を味わった人も多いはずである。学校給食にもソースを卸しているので馴染みのある味である。そんな味を懐かしんで店頭で買い求めるお客様もみえる。また、同業の酒屋仲間での販売ルートや観光施設等にも置く他、ネット通販で購入も可能。「ラベル」もオリジナルなものへ変更できるため、贈答品としても使用できる。
 昭和49年に中町から現在地に移って半世紀が経とうとしている。表通りから1本中に入った通りに店舗とソース工場がある。長年、地域の活動に協力的であり頼りになる存在であった克己氏は民生委員や当所小規模企業振興委員を務め、克己氏の娘であり、芳彦氏の奥様である浩子氏も半田小売酒販組合の理事やガールスカウトではリーダーを務め信頼を得ている。
 今後、今の形を残しつつ何かできるといいねと浩子氏は話す。修業中の誠氏も仕入れ先等に同行しながら関係性を築き始めている。酒屋とソース作りがバランスよく合わさり、今後の展開が楽しみである。(取材:中村真由美)


【住所】半田市港本町3-111  
【代表】榊原芳彦 
【創業】昭和2年  
【営業時間】8:00~20:00
【TEL】21-0423  
【定休日】日曜日



ご飯を食べながら酒を飲む幸せ

2023年11月29日(水)

伊東株式会社  伊東 優さん

幼い頃から遊んだ祖父母の家は、天明8年(1788年)から続く造り酒屋(伊東(資))でした。3人兄弟の長男だった僕は子どもの頃は跡を継ぐんだと何となく感じていましたが、名古屋に住み野球に熱中していたので、休業そして清酒製造免許を返上した時(2000年)もあまり現実味はありませんでした。そんな僕が今ここで酒造りをしているのは2014年、祖父(伊東基夫氏、当所10代会頭)の死がきっかけでした。
 亡くなった際、通夜の日まで蝋燭の火が消えないよう交代で見守る風習がありますが、自分の番に祖父が眠る傍で冷蔵庫で14年間保管されていた「敷嶋」を飲み、その凛とした味わいに感動するとともに、200年以上酒造りをしてきた伊東家という家を考え始めました。代々、酒造りを通じて地域に影響力があったことは地域の方々から聞いていましたが、実際には大人になって初めて感じました。ただ、酒造りを止めてからは、伊東家として地域に残るものが古い家屋しかない。そのため、まずはこの家を残したいと考えました。そして、酒を造るために家を建て、蔵を作ったのだから、まずは建物というハードありきのビジネスではなく、『酒造り』というソフトをビジネスの幹として成り立たせた上で、その他のコンテンツを枝のビジネスとして行い、建物を存続させるのが本筋ではないか、という考えに至りました。
 4年後に脱サラし、他の酒蔵で修行した後、2021年12月から自社蔵で製造を開始し、翌年6月までにタンク15本の酒を製造。『敷嶋』を復活させ第一歩を踏み出しました。構想からの7年間は長かったような、アッという間だったような気がしています。清酒製造免許の
取得、土地の買い戻し、設備の導入など、ゼロからの出発は考えていたより大変でしたが、多くの方に力添えをいただき、実現に至りました。地元亀崎での祭や祝いごと、親戚の集まりなどで「敷嶋を美味しく飲んだ」と言われる方も多く、その言葉が励みであり支えでした。始める前や開始当初は、将来の不安や期待など考える暇もなく時間に追われていました。一番不安なのは『今』と感じられるのは、少し余裕が生まれたという証拠でしょうか。製造は自分を含め5人程で行っていますが、経理、人事、プロモーション、営業と全て今は自分でやっています。全業務を理解したいという気持ちもあり、今は無理をしています(笑)。
お酒にも様々な味がありますが、敷嶋は食中酒として飲んで頂きたいお酒です。僕自身、昔から外での飲み食いをしていましたが、その中で『食と酒のペアリングに感動する体験』に出会いました。おそらく、あの時感動した体験は一生覚えているでしょう。敷嶋もそういう場面にいてほしい。そして『ご飯を食べながら酒を飲む幸せ』という文化を創り、200年後に、食の傍にある定番酒となってほしいと思っています。
 醸造業が盛んなためか、この地域では旨味が濃厚な食べものが多いです。ずっとこの地域に住んでいらっしゃる方には意外かもしれませんが、アナゴ、ふぐ、貝などの干物は知多半島だけの文化です。このような旨味がギューと濃縮された食をより膨らませるためには、旨味だけでなく、苦味や渋み、酸味も必要で、かつ味の骨格がしっかりとしたお酒が必要です。しっかりした骨格を保つには必然的にアルコール度数が高くなりますが、そのアルコール感がなく、美味しく飲めることが敷嶋の特徴だと思います。また、開封してから、4日目くらいから味がまろやかになり、1か月たっても美味しく飲めます。また、生酒や純米大吟醸も長く楽しめ、純米大吟醸は開封後、数か月経っても旨さの最大値を更新していきます。生酒はできれば冷蔵庫保管をおすすめしますが、是非その過程を楽しみながらお飲みください。
 まずは敷嶋を復活することが目標でしたが、今後はいいお酒を造ることを前提として、この建物を残すために活かしていきたいと思っています。12月には蔵内にレストランがオープン予定です。更に来年1月は素敵な庭と共にカフェビストロが開始予定です。また、近々販売店も併設しますが、地域の皆様にはお酒は引き続き酒屋さんでお買い求めいただければ嬉しいです。
 また、若い方々に「酒蔵が地元にあり、その酒蔵の酒は美味しい」ことを知っていただきたくて、来年の『二十歳の集い』の日に(1月7日)『蔵シカルmarché』を開催します。沢山のハンドメイド作品や美味しいご飯、ワークショップが楽しめるイベントです。新20歳の方、そして晴れ着でお越しの方には1杯振る舞い酒がございます。お酒が好きな方、素敵な商品や美味しいものと出会いたい方、ぜひお越しくださいませ。蔵に囲まれた特別な空間も必見です。また、4月20日には昨年に引き続き『亀崎酒蔵祭』を予定しています。これからもたくさんの仕掛けをしていきますので、皆様何卒よろしくお願いいたします。


■半田市亀崎町9-108-1 
■TEL.29ー1125 



仕事もプライベートも楽しく

2023年10月31日(火)

オートボティ元気

今回訪問した会員事業所は、半田中央インター近くの長閑な場所で自動車鈑金・塗装業を営んでいる「オートボディ元気(ゲンキ)」。駐車場には修理を待つ車が並び、奥には塗装ブースを有した鈑金工場がある。事務所を訪問すると奥さんの敦代さんと愛犬のペレ蔵くんが迎えてくれた。敦代さんは事務と洗車が主な役目。裏方の仕事をこなし、ご主人を支えている。
 店名の「オートボディ元気」は、代表の新美元気(モトキ)氏の名前が由来だ。元気氏は学生の頃からのバイク好きが高じて鈑金塗装業界に足を踏み入れた。「その業界に入れば、バイクを自由にカスタマイズできる道具がたくさんあるから」と笑いながら話してくれた。しかし、入社してからはそんな余裕は全く無く、とにかく朝から晩まで作業に追われた。その結果、鈑金・塗装ともに数多くの経験を積むことができた。その後、将来的な独立を考えるようになり、自動車整備工場に身を移した。そこでは、事故車が入庫されてから鈑金・塗装を含む修理完了までの一部始終に携わることができ、ドア部分などのボディやシートなどの内装部品の取り外しや、組み付けなど、独立するために必要な過程を勉強した。また、カーディーラーや損害保険会社の担当者など、対人の場にも同席し、顔と名前を売ると同時に営業の手法や人間関係を築いていった。約12年間、独り立ちに必要な技術と人間関係を深め、平成20年3月、現在地に念願の鈑金工場を立ち上げた。
 「お客様からお預かりした大切な車をいかに綺麗に、いかに車にストレスを与えることなく施工できるかをいつも考えながら作業している」と元気氏。常に業界雑誌で最新の情報を入手したり、部品メーカーの担当者と普段の会話から業界の動向などを聞き取り、今、自分にできることを考え、自身の技術をアップデートしている。一つの例として、5年ほど前から塗料は水性塗料を使用している。知多地
域の多くの同業者は油性塗料を使用しているが、元気氏は環境に優しい水性塗料を使用している。世界的に塗料は油性から水性へ移行しており、時代の流れに応じて水性塗料の使用に踏み切ったのだという。
 独立してから15年が経過した。独立後間もなく前勤務先の社長の口利きで仕事を受けたり、その後も仕事は途切れることなく受注している。これも元気氏の人柄と仕事に対し妥協せず常に新たなことに取り組む姿勢からなのであろう。通常の事故車の修理はもちろん、今では元気氏の高度な技術力を頼りに新車の鈑金・塗装の依頼もある程だ。
 プライベートでは、地域の活動や祭礼にも参加し、趣味のサッカーで平日夜の練習、休日の試合で汗を流し、幅広い年齢層との繋がりを築いている。料理好きで、学生の頃の夢が料理人というほど腕には自信があり、その味は奥さんからも太鼓判を押されている。「仕事もプライベートも楽しく」をモットーに日々を送る元気氏をこれからも応援していきたい。(取材:竹内圭志)               
                
【住所】半田市平井町4-12 
【代表】新美元気
【創業】平成20年3月
【営業時間】 9:00~18:00 
【TEL】 27-8281
【定休日】日曜日