半田商工会議所 THE HANDA CHAMBER OF COMMERCE & INDUSTRY

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印刷を通じて夢の実現 ~自費出版・小ロットの印刷・製本~

2025年9月1日(月)

㈲一粒社

 ㈲一粒社はオフィス1階に「印刷ギャラリー」があり、自社出版の書籍を展示。本屋のような空間で文化の伝承と保存を目的に書籍の魅力を伝えている。

 昭和23年創業。文字物印刷を中心に文字組みの歴史を歩み続けている。創業間もないころは筆耕という鉛筆の形をした鉄製の筆でロウ引紙に手書きで原稿を書き写していた。版を作成するために、社会人や夜学生が夜な夜な文字を書いていた当時から、文字ものを中心とした印刷物を得意としている。

 特に1,000部以下の小ロット印刷においては、社内一貫生産体制により高品質、短納期、低価格を可能としている。昨今ブームの自費出版は、「NPO法人自費出版ネットワーク」の立ち上げメンバーとして参画。出版社一粒書房として地域の方々や国内外からの要望に、自費出版アドバイザー資格者が著者の想いをカタチにしている。サービスの詳細は一粒書房自費出版Webサイトで確認できる。最後までお客様のイメージを丁寧に聞き取り、最適な本づくりから書店流通までの提案、装丁デザイン・組版編集・印刷・製本まで全てを行っている。 WebサイトにはAI技術を活用したPR動画もあるので注目していただきたい。

 「設備が仕事を創る」の考えから、平成7年に日本に導入間もないアメリカ製デジタル印刷機を導入。デジタル印刷がまだ一般的でない時代、この設備投資は重荷となった。しかし、とあるメーカー企業からの「在庫レスで印刷物を納品できないか」の問い合わせを機に奮起。改善を重ね、生産・納品体制を構築し、近年はさらにバージョンアップ。受注データをデジタル印刷機へ自動で流し込み、無人印刷化の実現、省力化と生産性向上を果たす。

 現在は、1,000種類を超える多品種かつ、モノによっては一桁数量の小ロット印刷物を、余剰在庫ゼロでの納品体制を確立。また制作工程では、AIの活用を進めて入稿データ処理の効率化を図り、労働環境の改善を進めている。IT技術への積極的な情報収集を通じて、これからの情報媒体のありかたを探求したり、直近では小ロット向けのカッティングプロッタを導入。型が不要で、紙を抜き取ったり、抜き切らずにハーフカット加工ができる機械で、シールやラベル作成に適し、今後はペーパークラフトにも取り組みたいとしている。

 また、ご好評をいただいている失敗しない自分史作成システム『MY LIFE STORY 私の自分史年表』もAmazonと全国書店で販売中です。

 現代表はリーマンショックのあった平成20年の春に半田市に移る。他業種からの転身で、経営者としての責任と、重圧に耐えられるのかと自問自答を繰り返し、その気持ちは今でも変わらないと言う。経営者諸先輩の背中を日々追いかけ、働く仲間に敬意を払い、「謙虚にして驕らず」をモットーに精進している。「毎日仕事ができるのはお客様があってのこと。日々のご愛顧に深く感謝です。また、きめ細かい対応、丁寧な仕事をする社員には感謝しかありません」と話す。お客様の満足、社員の働く満足の追求が未来への発展につながっていくと信じ、印刷を通じてお客様の夢の実現に、今後もお手伝いをしていく。 (取材:中村真由美)

【住所】半田市有楽町7‒148 ‒1  
【代表】宮原健太郎  【創業】昭和23年
【営業時間】 平日 8:30~17:30 
【TEL】 0569-21-2130



お客様本位に徹する

2025年9月1日(月)

(株)三菱UFJ銀行半田支店 支店長 柳川瀬 崇氏

チャレンジと縁の下の力持ち。両者を絶妙にバランスを保ちながら歩んできた。幼少期から自然に自らの立ち位置を考えるようになり、ある時はチャレンジ精神を発揮しリーダーとして仲間を導き、ある時はリーダーを尊重し、縁の下の力持ちに徹した。チャレンジ精神を気質と捉えると、他方は常に『人のために』と行動してきたご両親の背中を見てきたことが起因するのではないかと分析する。
 「メーカーは商品を売る。金融は自分自身を売り込む職種と先輩から言われ、自身の可能性に挑戦出来るかもしれないと㈱東海銀行(現㈱三菱UFJ銀行)に入行しました。尾西支店(現一宮支店)を皮切りに、ほぼ営業担当者として25年余。色々な仕事や多様な方々との出会いでは、いつも相手のことを第一に考え、接してきたつもりです。それは両親の姿がベースになっており、社会人になってからは、改めて私にそういう考え方を醸成してくれた両親に感謝する機会が増えています」
 
 営業担当者は契約数や収益額などの目標達成が大きな指標となるが、相手の求めるものを提案し続け、その目標に達しないこともあった。だが数年後には、「柳川瀬さんだから取引したんだよ」という言葉と共に、更なる成果を上げたことも度々あった。お客様を好きになれば、本気になってその人、その企業のための提案ができると、自身の経験を語る。
ニーズを的確に判断するために、幾度もそこに足を運び、 face to faceで話を聞くことで、お客様のファンとなっていった。「スピード感を意識して取り組め」と上司から苦言を呈されることもあったようだが、『お客様本位の仕事』を、いつしか『柳川瀬スタイル』として確立していった。

 「担当したお客様を好きになるタイプですが、人見知りである私は若い頃には、新規のお客様には毎回緊張しながら訪問していました。自分なりには頑張ってきたと感じています。ただ運は良かったと感謝しています。仲間や上司に恵まれ、色々な仕事に関わる機会もいただきました。営業として個人、法人(中小企業から大企業まで)を担当し、大企業に関わった時には日本・世界経済が動くような仕事をして日本経済新聞の一面を飾りたいと頑張りました。新聞に載った案件にいくつか関わりましたが、一面には届きませんでしたね。東京・名古屋で本部(市場営業部)の仕事に従事した際には、専門知識を学ぶことに苦労しましたが、営業担当者として培ってきた笑顔とface to faceを武器に、大企業担当者のサポート役として、お客様のお役に立てたと思っています。また、取引先の十数年に一度の設備投資案件や、大型のM&A案件が、自分の担当時に取引先で発生するなど、たまたまの巡り合わせに、本当に運が良かったと実感しています。ただ、どんなに良い提案をしたとしても自分の力だけでは成し遂げることはできません。タイミングと仲間に恵まれてこその結果です。大きな案件を成し遂げた時の仲間との打ち上げでは、毎回美味しいお酒を楽しく飲み明かしたことも良い思い出です」

 従業員組合の専従者としても1年間勤務した。そこでは海外で働く組合員の労働実態を把握し、より良い条件下で仕事や生活が出来る環境作りに努めた。また、組合員の一体感の醸成のため、組合イベント開催も仕事の一つだった。ディズニーランドでのショーベースイベントを企画し、担当地区10,000人以上の組合員やその家族などに向けて、イベント開催のための案内や申込対応、チケットの発送・集計、当日の運営等、一連の業務を担った。当時はまだ紙媒体の時代、煩雑な作業であったが「一人でやらなければ」という使命感の下、365日休みもなく取り組んだ。イベント当日、楽しむ参加者の姿に、達成感で涙が出てきたと語る。激務は色々あったが、ベスト3に入る思い出深い仕事だったと振り返る。 

 「また、従業員組合で勤務していた際には、徹底的に『傾聴すること』を叩き込まれ、以後の仕事でそのスキルに救われることも多くありました。昨年4月に半田支店に支店長として着任、立場上多くの権限が与えられ、多くの部下と接することになりましたが、常に『傾聴』の大切さを痛感しています。今は60名の部下と共に働き、安心・安全に仕事が出来る職場の環境作りを日々進化させ、知多半島全域のお客様のお役に立てる仕事、半島を盛り上げていく地域貢献活動に力を入れています。MUFGグループとしても数年前から、地域貢献活動に力を入れて取り組んでいますが、半田支店はトップクラスの活動実績を誇っています。行員自ら、地域や社会の課題解決のために資する活動を企画し、賛同者を募り、当日はボランティアスタッフとして参加するスタイルが浸透し、現在では半田ユニット(半田・常滑・東海支店)として知多半島全支店メンバーで活動しています。最近では『半田運河発酵マルシェ』や『闇バイト加担防止イベント』等でのボランティア活動に取り組んできました」

 支店長着任と同時に多くの公職にも対応し、毎日多忙な日々を送る。支店長として常に外に出て営業活動しているのが理想であり、外に出ることを自らの仕事と考えている。たまに支店内にいる時間が長い時には、[これで大丈夫かな?」と思うことがあると笑う。
 「お客様への訪問時に、会話の中で必ず出てくる歴代の支店長や担当者の名前があります。私もそのように取引先ですぐ名前が出てくる一人になりたいと思っています。歴代支店長や担当者が脈々と築き上げてくださったお客様や地域との強い信頼関係を維持、発展させると共に、1つでも多くの「柳川瀬さんだから、取引した」という最高の褒め言葉をいただけるよう、両親から学んだ『お客様本位』の『柳川瀬スタイル』でこれからも邁進し続けていきたいと思っています」

●ちょっと一息●
 小学校から高校まではサッカー、大学ではまだ日本では目新しいスポーツ、ラクロス(棒の先に網のついたスティック(クロス)を使い、硬質ゴム製のボールをゴールまで運んで得点を競う団体球技である)を始めました。『まだこの辺りであまりやっていない。日本代表になれるかもしれない」という先輩の口説き文句に乗せられ(笑)、勉強そっちのけで楽しむほど熱中しました(笑)。体を動かすことや仲間と一緒に行動することが好きなんだと思います。今も毎週のようにゴルフに出かけ、汗を流し気持ちの良い時間を過ごしています。一緒にラウンド出来る仲間がいる幸せを感じています。ラウンド中に飲むビールも、いつも楽しみにしていますが、半田に来てからは日本酒を飲む機会も増え、お酒の美味しさ、奥深さを知りつつあります。まだまだ未熟ですが。
 最近では、一年に1つずつ新しいことをやっていこうと思い、今年は『一人飲み』出来るお店の開拓に努めています。人見知りのため相当な覚悟を持ってお店の玄関の敷居を跨ぐことが、私の細やかな挑戦です。また、なぜか道を歩いていると人に道を尋ねられることが多いんですね。この間、東京に出張に行った時は一日に3度もそんなことがありました。尋ねられる回数が多いことも私の特技となりました。暇そうに見えるのでしょうか!?(笑)。

1976年滋賀県大津市生まれ、名古屋市在住。99年滋賀大学経済学部卒業。同年㈱東海銀行(現㈱三菱UFJ銀行入社。尾西支店、桑名支店、従業員組合、新宿支店/支店長代理、市場営業部/調査役、営業本部/上席調査役、名古屋営業本部/次長、名古屋営業部/副部長を経て、2024年現職。半田・常滑商工会議所常議員。当所地域力創造委員会副委員長、半田市中心市街地活性化協議会監事等。





『通える美容鍼』で改善というゴールを目指す

2025年9月1日(月)

グリーンノア鍼灸院  舟橋 幹也さん

 あの日あの時の情景は今も鮮明に甦ってきます。私は中学生、テスト週間で友人と一緒に早帰りのあの時、男性が楽しそうに自転車に乗っていました。実に楽しそうに見えたんですね(笑)。友人のお父さんでしたが、大人が昼間に普通にそこにいることが信じられませんでした。友人から鍼灸師と聞き、そういう仕事があることを初めて知りました。その鍼灸師という仕事は私の中で深く静かにインプットされて、高校生になっても『鍼灸師』というワードは心に響いていました。
 専門学校でマッサージ、鍼、灸を3年間学びました。私は鍼の持つ専門性、奥深さに惹かれて、卒業後は鍼のスペシャリストを目指すことにしました。最初は訪問マッサージ師として、知多半島の高齢者や外出が困難な方のために施設や家庭に伺いました。
 
 11年前に独立し、鍼を極めようと思いましたが、何がお客さまに喜んでいただけるのか分からず、鍼、灸、マッサージ、自分が出来ること全てをやっていました。当時は肩凝りや腰痛治療のためのお客様が多かったですね。プライベートでは4年前に結婚、子どもにも恵まれ、昨年2月、妻の意見を取り入れてリフレッシュオープンをしました。これまでお店のことは妻にあまり相談することはなかったのですが、試しに聞いてみたところ『男性の部屋みたい』と一掃され(笑)、女性目線を取り入れた完全個室の心地よい店内に生まれ変わり、お客様の反応も上々です。
 店名の『グリーンノア』は、痛みや悩みなどから解放される場所でありたいと思い『ノアの方舟』を意識しています。コンセプトは『通える美容鍼』で、改善というゴールに向かって共に進む伴走者のような立場を目指しています。

 今は美容(電気を流す美容鍼)、ダイエット(耳ツボ)、治療(肩凝り、腰痛など)の3本柱で、美容の悩みを解決したい、運動なしでダイエットをしたい、体の不調を改善したい。そんな方々のための鍼灸院です。美容鍼を受けられたお客様からは「肌がパンッとなった」「クマが目立ちにくくなった」「キュッとリフトアップした」「顔の左右差が減った」という声が届いています。      

 ところで、『耳つぼファスティングのダイエットプログラム』をご存知でしょうか?リバウンドしない最後のダイエットとも言われ、運動なし、サプリメントなし、3食OKという夢のようなプログラムです。当院では3ヶ月平均でー9.0kgの減量実績を持ち、3ヶ月ー8.0kgの減量を保証します。体の治療に関しては、私は学生時代から胃腸が弱く、食後すぐにお腹を壊してはトイレに駆け込んでいました。そして鍼灸師として開業してからは逆流性食道炎になり、食後の気持ち悪さに悩まされ、胃腸が弱い体質と諦めていましたが、どちらの症状も、自分で鍼をすることで今は治っています。いずれも多くのお客様から『とっても満足』と喜びの声をいただいています。様々な症状でお悩みの方、ぜひご相談ください。

 お客様の症状に合わせての施術ですが、共通点は電気を流しながら鍼を使っての施術です。電気は神経に流すために神経が通っている全身に繋がり効率的ですが、怖いというイメージを持たれているかもしれません。電気といってもビリビリするわけではなく、顔の筋肉が電気のチカラでぷるぷる動く独特の感覚ですので、安心してください。電気治療はあらゆる分野で研究され、不眠症やストレス解消にも効果的であることが立証され始めています。色々な可能性を持つ美容鍼をさらに極めていこうと思い、日々勉強中です。
 
 リフレッシュオープンして1年半ほど、私自身もお店と共に成長したいと私なりに色々な試みを始めています。お客様の多くは女性ですので、先ずは女性の気持ちを知りたいと女性誌を読み始めました。最初は何を言っているのか分からなかったのですが(笑)、美容家の方の考えを学び、施術方法や意識にも反映されているのではと自負しています。また、妻は私の良きアドバイザーで、公私共にベストパートナーです。一番近くにいる妻にできないことは、他の人にはできないと考えていますので、妻を大切にし、その気持ちはお客様にも繋がっていると思っています。
 
 自由に楽しいことが出来ると選んだ鍼灸師の道、お客様と接するうちに、『とっても満足』と喜んでいただき、色々な素敵なお客様とも出会え、鍼灸師になって良かったと実感しています。ただ、ありがたいことに仕事に追われ、朝から晩まで治療院にいるため、昼に楽しく自転車に乗れる
なんて、夢のまた夢です(笑)。

■ 半田市桐ケ丘3-5-5   
■ 営業時/(平日)9:30~20:00(土曜日)9:30~18:00
■ 定休日/日・月曜日  
■ TEL/0569-29-0608



文化資産を活かした 文化産業づくり

2025年8月6日(水)

半田赤レンガ建物 館長 稲波 伸行氏

地域文化をどう残していくのか?デザインの有効活用を探り、そのために様々な挑戦をしてきた。車のデザイナーを目指し芸大に入ったが、卒業時は就職氷河期、フリーランスデザイナーとして社会人になった時、奇縁に導かれるように『地域』と巡り合い、情熱を注いできた。
 「母校がある西春町は区画整理中で『大学と連携してまちに賑わいを!』という動きが始まりました。フラフラしている私に声がかかり(笑)、大学とまちとの連携事業の拠点責任者のようなお役をいただきました。当時の日本のものづくりは輸入商品に押されて売上が低迷していました。日本のものづくりの世界をもう少しクローズアップし、売れる流通の仕組みを考える必要があると思いました。それで仲間と流通会社(ショップ)と、人的ネットワークを組織するNPO法人を立ち上げました。その後『東京ミッドタウン』に出店することができ、そこではモノを売る大変さ、モノが売れるのにデザインと価格と品質のバランスの重要性を肌で感じました」
 その経験を糧に、2008年に名古屋でデザイン会社RWを設立した。商品開発、製造、販路開拓など、領域に縛られず、地域にある資源を未来に繋げるために、伴走支援をしてきた。時には『地場産業とは?』と考え込んだ。そんな時、今年5月から東海三県下に根付く発酵の知恵と技を、展覧会や体験プログラムを通して味わい尽くす『発酵東海ツーリズム』のクリエイティブを同社で担当することになった。
 「そこで半田市観光協会とのご縁をいただき、今、半田は変わっていこうとする気運が高まっていると感じています。かつて、アントレプレナーシップを持つ起業家をたくさん輩出し、そういうアイデンティティが残っているまちであり、地域のポテンシャルが高いと感じています。醸造業を地場産業の代表格とする半田は『発酵ツーリズム東海』を通じて、『世界でも稀な発酵の集積地』とインプットし、反転していく可能性を感じています。ただ、今年度から『半田赤レンガ建物』の指定管理者を務めている半田市観光協会から館長にと言われた時は『寝耳に水』で、今までとは対極の立場の主体側となると、客観的にモノが見えなくなってしまうのではという怖さもありました。会社経営の経験から、主体側の感覚が分からない訳ではありませんが、責任感をすごく感じています。そこで硬くなるより、私自身も楽しんで、地縁もない、よそ者だからこそ出来ることを取り組んで行こうと思っています」
 半田は貴重な『地域の文脈』(*)と『文化資産』(資産や資源)を持っています。文化の語源はカルティヴェイト(耕す)。文化は耕やすことで新しい産業が生まれる可能性を持つ。この地の文化資産を活かした文化産業づくりを目指したいと抱負を述べる。
 「赤レンガ建物のルーツはまさしくそういう在り方で、興ってきたと思っています。かって醸造文化産業が衰退し、危機感を抱いた時代のアントレプレナーが新しく挑戦したのがドイツビールであり、この建物を建築しました。醸造文化という元々の資産の上に新しくビールというタネを下ろして、この地域に新たなビール産業が誕生した歴史ある場所です。それを今に置き換えたらどうなるか?新しい文化産業が生まれることを信じています」
 地域文化を紹介する企画展(*)を開催し、資源をネタに企業に活用してもらうための接点づくりを目指す。半田の盆踊り歌に「酒蔵、酢の蔵、木綿蔵」と歌われているように、かねて半田は醸造と繊維のまちであり、その原料となる米作りと綿花栽培が盛んだったことを窺い知ることが出来る。そういう土壌に恵まれた半田で、綿花と米の発酵で新しい綿花、米や酒米の誕生も想定され、耕し方によって今までとは全く異なったモノが生まれてくる可能性も持っていると注目する。
 そして企画展に関連するフィールドワークを会期中に予定し、出展者に『こんなことやっているんだよ』というようなことを話してもらえれば造詣がより深くなり、生のビジネスの素材として企業側と文化資産の接点を具体的に促していけるのではと期待する。同時に月1回、氏が赤レンガ建物内で開催のデザインスクールで、資源の活用方法を学ぶことで、より動きやすい状況になるのではと実施への階段を示す。
 「『発酵ツーリズム東海』のプレツアーを開催した時にアメリカのミシュラン2つ星レストランのシェフ、世界一のレストラン・コペンハーゲン『ノーマ』の発酵担当者が参加されました。彼らから「アメージング!この地区の発酵は素晴らしい」とお墨付きをいただき、世界的に見てもこの辺りの資産はすごい競争力があると思っています。住んでいる人当たり前と思っていることは、当たり前ではないことが多くあります。先ずは地場産業という一つの地域文脈を素材とし、そこで働く人、そこで新しいことを興す方達の力になり、寄り添っていきたいと思っています。
 私自身は、食べることが何より好きで、酒も発酵も、そこに込めた人の探究心は、ほんとにすごいなと思っています。世界中にありとあらゆる素材を使ったさまざまな発酵がありその知恵、探求心、想像力の深さにはいつもやられています。好きな言葉は武者小路実篤の『この道より我を活かす道なし、この道を行く』です。館長としてのチャンスをいただき、自分が決めた道だからこそ、その道をどう素晴らしいものにするか。価値のある道にしたいと思っています」 
  たまたまのように巡り合った『地域』との関わりは、歩んでいく原動力となり、活力ともなった。
 

(*)道路や建物、その土地の地形や自然、歴史的背景や文化、人々の生活など、さまざまな要素が関わり合って、その土地独特の街並みやたたずまいが形成されている。都市計画や環境デザインでは、それを『地域の文脈』と表す。
(*)現在、『新美南吉の言葉と風景』開催中。
詳細は本誌16P掲載の半田市観光協会寄稿をご覧ください。

1975年三重県菰野町生まれ、名古屋市在住。
99年名古屋芸術大学美術学部デザイン科インダーストリアルデザインコース卒業。99~2001同大学同コース研究生(99年ブライトン大学(イギリス)交換留学)02年 N/N(エヌツー)設立(地域密着型デザイン事務所として運営)。05年流通会社の立
ち上げに参画。08年RW設立。15年株式会社RWへ組織変更。25年半田赤レンガ建物館長。



I wish you a bright day ~光り輝く1日になりますように~

2025年8月6日(水)

nail salon bright

 “I wish you a bright day(光り輝く1日になりますように)”そんな想いを込めてお客様の美しい指先づくりのお手伝
いをしている。そして施術しているこのひと時、キレイになった爪でこれから過ごされる時間が“brigh(t 輝く)”ように…。
 今回ご紹介する会員事業所は半田市北二ツ坂町のネイルサロン「nail salon bright」。代表の久保知夏氏は幼少期よりオシャレに興味を抱き、物心ついた頃には祖母の爪にマネキュアを塗って遊んでいた。小学生、中学生と成長するにつれ、次第にネイリストになることを将来の夢に抱くようになり、ネイルサロンに7年間勤めた。そのサロンに在籍中、たくさんの施術経験を積むことで、技術の向上はもちろん、カウンセリングからのネイルデザイン提案力や施術中のコミュニケーション力も向上した。その結果、全国展開しているネイルショップに在籍中、全店舗のネイリストの中で月間顧客単価ナンバー1を受賞したことがある。
 また、独立の夢が芽生えたのは実父の影響であった。実父は会社を経営しており、経営者として従業員を率いている姿、ワイワイ明るく楽しそうに従業員と接している姿に、久保氏は小学生の時から憧れを感じており、自身も将来は独立して自分の店を持つこと、そして実父のように従業員を雇用し、明るい会社を持つことを夢見ていた。
 ネイリストとしての技術を磨き上げ、28歳の時(令和6年2 月)、ご主人や家族の理解を得て自宅の一室を改装しネイルサロンをオープンした。開業当初は集客に苦労する中、お勤め時代の多くのお客様が自ら探して来店されたという。これも久保氏の人柄、技術を求めてのことであろう。同サロンは、ジェルネイルを柱にワンカラーやシンプルデザインが人気で、スピーディーかつ丁寧な施術がお客様から信頼を得ている。また、久保はお客様との空間を大切にしており、心地よく施術を受けていただくことを第一に考え、話好きな方、そうでない方、一人一人の性格に合わせた空間づくりもお客様に選ばれている理由であろう。
 昨年度、当所の女性起業家支援助成金「はんだなごみ(和)サポート」に申請し、採択された。その助成金を活用し、5 月にメディカルネイルプランナーⓇを取得した。今後はメディカルネイルプランナーとして、お客様の爪の健康をいたわりながら、さらに付加価値のあるネイルを提供していく。
 最後に将来について尋ねると「ネイルのみならず、まつ毛エクステを提供できるよう美容師免許を取得したい。そして自宅を出て自分の店舗を持ち、もう一つの夢である従業員を雇用し、尊敬する父のように明るい会社を作りたい」と笑顔いっぱいに答えた。 (取材:竹内圭志)

【住所】 半田市北二ツ坂町3-10-4
【代表】 久保知夏  
【創業】 令和6年2月
【TEL】 080-1602-5074
※メディカルネイルプランナーとは
爪の育成技術を持つネイリストのこと。深爪やトラブル爪で悩んでいる方に対し、正しい知識と安心安全な方法で爪の健康をいたわりながら施術・提案・プランニングを行うことができるネイリストのこと
(メディカルネイルプランナー公式ホームページより抜粋)