2024年12月17日(火)
幼年期、祖父母と過ごした時間は、社会人として歩むための師となった。寺院で祖父母と一緒に仏像を眺めた。祖母の主宰する茶道教室の茶会で抹茶をいただき、掛け軸を目にした。祖父と庭の柿や桃を取り食べた。そこにはいつも祖父母の笑顔があった。青年期、地方の過疎化が問題となり、そこで生きる高齢者の寂しさを知った。
「私が嬉しいと言ったら祖父母が喜んでくれたように、例えば地方の高齢者が出荷した野菜の美味しさを、消費者がテレビ電話のようなものを通して直接伝える。そんな社会を作ることができれば、私の祖父母のように生きがいを持って笑顔で暮らせる高齢者が増えるのではないかと思いNTTを志望しました。面接試験で『全国のNTTビルにある通信ネットワークをお借りして、誰もが生き生きと暮らせる社会を作りたい』と生意気なことを訴えました(笑)」
大阪支店の法人営業部に配属され、お客様のビジネスを通した社会貢献を体感し、より一層お客様のビジネスに深く入り込むことで、ビジネスの幅を拡げていった。その想いに沿うように様々な部署に携わる機会を与えられた。従前は役職者だけが務めていた幹部の財界活動におけるサポート役に就いたのは30歳の頃だった。役職者は昇格後にその部署へ戻る例がなく、せっかく築かれた社外との人脈を持続させることが難しかった。再び同部署に戻り、得られた人脈を継続させ、更に広げることを目的として、氏が役職のない担当者の第1号として抜擢された。
「社長をはじめとする経験豊かな幹部の話題は多岐に亘り、幹部と二人きりの車中は緊張の連続でした。日本の文化を語られた時には、私が幼年期に見聞きした知識が役に立ちました。幹部に同席した財界の会合においても、これまでの経験や知識をもとに侃々諤々の議論を行うなど、学びの多い日々でした。生活は安心・安全の上で成り立っています。通信は安心を支えるものであると実感するとともに、自衛隊の方々などの想いを知ることで安心・安全の見方が変わりました。文化や風習、安全保障などを多岐に学ぶことで、物事をより深く捉えられるようになったと感じています。大阪商工会議所など、各地の商工会議所さんとのお付き合いはこの頃から始まりました」
後年、再度財界活動に携わり、培ってきた人脈をフル活用することで、地域の発展に貢献すべく自社と他業界との橋渡しに尽力した。また、関西経済同友会への出向という形で、関西経済界が英知を集結して立ち上げ、「実学重視」の人材育成、「強力な人脈形成」を推進する教育の場『グローバル適塾』の事務局長のポストに就いた。
塾生は毎年30名ほどで、会員企業から各社1名の幹部候補生を選出いただいています。業界知識や経営などは他でも学ぶことができるため、ここでは幹部に欠かせない人間的魅力や文化的素養を養うためのカリキュラムを実施しています。どんな学びが塾生の役に立つのか、多方面にアンテナを張り巡らせる日々において、祖父母や両親と一緒に訪れた寺院や伝統行事がヒントになることも多々ありました。奈良の春日大社での研修では、日本における神の概念や祝詞の意味などから始まり、座禅の仕方などの所作まで学ぶことができました。海外の要人と議論したり、経営者から経営哲学を学んだりもしました。ある時、自らの悟りのために修行し努力することと、他の人の救済のために尽くすことを意味する『自利自他』という言葉と出会いました。私は他人
のためになることが結果的には自分のためになると解釈していますが、私のNTTに対する志望動機とも似通っているので、すっと頭に入り心に響く言葉でした」
光回線を販売する代理店の企画業務、本社法人営業部での総務・人事・労務に関する業務、新設のデジタルマーケティングに関する部署など、常に新たな部署での仕事だった。「自分が何屋だか分からなくなっているが、知らない世界を知ることは面白い」と学び続けてきた。そんな中で相手にも自分にも大切な『誇りと志』を尊重して仕事と
向き合い、社員の成長に心を砕いてきた。
「人は生きてきた人生に誇りを持っています。その誇りを活かす仕事に取り組むことは自己の成長になり、より良い仕事にもつながります。同時に、仕事に対する志によって、成果は大きく異なってきます。相手のニーズにきちんと応えているだろうかと意識して行動することで、初めて継続したビジネスとして成り立ちます。相手と同じ立場に立って取り組む。サポートしながら歩みを進める。色々な形があると思いますが、その場や時代に応じて的確にスピード感をもって取り組むことが重要です。
「現職に就いて1年半ほどになり、会議所さんの隣の当社を含む、県内に8箇所ある営業所を統括する日々です。今後も通信や渉外の仕事を通じて、半田市が元気になるよう地元を積極的にサポートし、地域活性化のお手伝いをすることで社会に貢献します。それが今の最大の目標であり、入社以来の悲願です」
●ちょっと一息●
声をかけていただけるのは嬉しいことなので、誘われたら断らないことにしています。高校に入学して、誘われるがままにアイスホッケー部へ入部し、今も平日の夜や休日に楽しくプレーしています。アイスホッケーはチームワークが勝敗を決めると言っても過言ではなく、仲間とのコミュニケーションは大切な要素です。そんな所から、私のコミュ力も養われたのかもしれません。単身赴任中の今は、練習からどんなに遅く帰っても叱られません(笑)。自分の時間を楽しんでいます。
常に充実した日々を過ごせるよう、色々な趣味を持つ人たちとSNSを通して情報交換をしています。名古屋に転勤になった時にも、アイスホッケーに関するSNS仲間から今所属しているチームを紹介いただきました。「ここで楽しいことがある」という仲間からの情報で、いそいそと出かけます(笑)。知らない世界を知ることは学びがあり楽しいことです。特にその道に生きる人の話は興味深く、刺激をいただき元気をもらっています。私から積極的に声をかけていく。そのことも心掛けています。
1974年大阪府吹田市生まれ、名古屋市在住。97年関西大学経済学部卒業。日本電信電話㈱(現西日本電信電話㈱)入社、大阪支店法人営業部配属。本社総務部秘書室(財界)、広島支店代理店営業企画主査、北陸事業本部代理店営業企画課長、本社法人営業企画課長(総務、人事、労務)、本社スマートビジネス営業部課長(デジタルマーケティング)等を経て2023年現職。当所議員。
2024年12月17日(火)
ワクワクすることに出会うとそこに向かって一直線 !自分の直感力を信じて動いてきました。小さい頃からの夢を叶え保育士になり、結婚を機に転居のため半田市内の保育園を退職し、名古屋市内の児童館に就職しました。育休中に長男と参加したベビーマッサージ教室では、先生が自分のお子さんをモデルにして教室を開いており、その時に初めて子どもと一緒に働く『起業』という働き方があることを知りました。待機児童問題で長男が保育園に入れなかったこともあり、ベビーマッサージが大好きだったので、自分も好きなことで子どもと一緒に働いてみたいとベビーマッサージ講師の資格を取りました。ママ友たちとサークル活
動をする中で、みんなでワイワイと子育ての楽しさや悩みを話したり、そういう場所があることが子育て中のとても楽しみでもあり、救われた時間でした。
そんな経験もあり、長男が小学校に入学前のタイミングで生まれ育った半田に戻り、自宅にて『おやこのひろばsmile-baby*』をスタート。その時、次男と長女は保育園に通っていたので、夫や周りの人たちの理解があってこそのスタートでした。『今しかない親子の時間を楽しもう♪』をモットーに、【おひるねアート・ベビーサイン・手形アート】などを通して、成長記録をカタチに残すお手伝いを始めました。子育て中は楽しいこともたくさんあるけど、大変なこともある。頑張りすぎて1日があっ
という間に過ぎ、気づいたら子どもが1歳になっていたというママもいます。そんなママたちに保育士としての知識、3人の子
育て経験を交えて、「子育てって楽しい!」を伝えたいと思っています。
子育て支援事業の他に、もう一つ事業をしています。コロナ禍でイベントも教室も全て中止になり仕事が全くない緊急事態宣言の2か月間、働き方を見直す中で、今後は事業のオンライン化と在宅でできる仕事の2つを取り入れようと決めました。まず自分の今の事業をオンライン化するにあたり、EC業界についていろいろ学んだり調べた結果『ツクツク』というECプラットフォームに出会いました。低価格でネットショップを開設でき、物販もウェブチケットも販売できること、ホームページ、アプリ、ブログ、メルマガ、顧客管理など、事業の大部分をこの1つのサイトだけで一元管理できる点がとても魅力的でした。小規模事業者持続化補助金を活用させていただきショップを開設し、その際には商工会議所の皆さんにとてもお世話になりました。
ママたちと話していると、出産して社会との繋がりがなくなることに不安を感じていらっしゃる方が多くいます。10年ほど前は育休が終わったら職場復帰やパートに出ることが当たり前のようでしたが、今は『起業』も選択肢の一つと感じています。何かを始めたいママたちの応援をしたいと思い、新たに始めた事業は起業支援で、SNSサポートやHPやECサイトの制作サポートです。「ホームページを作りたい」「ネットショップを始めたい」「WEB化を1つにまとめたい」など事業者さんのそれぞれの求めていることにお応えできるよう必要な部分をサポートしています。まずSNS発信からという方には、インスタグラムの代行作業や公式LINEの構築サポートなども行っています。11月にオープンした半田市創造・連携・実践センター「コココリン」にて、2025年1月から「ママのための自分軸の働き方大学」をスタートします。
コロナ禍は私にとって大きな転機でした。コロナ前は自主企画というスタイルでしたが、今はイベントを依頼されるようになり、おひるねアート撮影会は県内のハウジングセンターでも開催しています。またコロナで同じように活動ができなくなった子育て支援をしている講師たちと知多半島ママコミュニティ『すまいるママ』を立ち上げ、オンラインで交流会や誕生日会をしていました。今は『すまいるママフェスタ』をイオンモール東浦にて定期開催しており、起業女性の活躍の場、地域のママたちの
親子で楽しめる場を提供しています(次回開催は12月25日~27日)。
最後に、私の好きな言葉に『五方よし』という言葉があります。近江商人の三方よし『売り手よし、買い手よし、世間よし』に『繋ぎ手よし、未来よし』を含めた五方で、コロナ禍を経てより人との繋がりが大事になってきたと感じています。何を買うかよりも、誰から買うか、SNSの時代で情報が溢れているからこそ、人とのご縁を大事にして、お互いに応援し合える仕組みを作ることで、未来もよくなる!と思うのです。ママサポートも、事業者サポートも、ご縁を大切にして『五方よし』の想いで皆様と関わっていきたいと改めて思っています。
今の現状から何か一歩進みたい、オンライン化したい、持続可能な収益システムを作りたいという事業者様はぜひ一度ご相談ください。
■ 住所/半田市大伝根町1‒7ー16
■ TEL/090-6618-6736
2024年11月1日(金)
乙川にある自家製手打ちうどん「味乃屋」、お客さんから「のどごしがいいよね」と評判の店である。それもそのはず麺作り
(うどん・きしめん)を一貫してご主人が行っているからである。毎日の繰り返しの中で仕上がりが一律になるよう微調整しな
がら仕込みをしている。お客さんの満足そうな顔に労力も報われると言う。アジ、サバ、カツオ、イワシのブレンドした出汁、甘
辛く味付けした油揚げ、煮物の小鉢等はこの地に合った味付けで手作りしたものを提供している。「うどんと出汁」の相性は
抜群に素晴らしい。熱いものは熱く、作りたてが一番。
先代である父が昭和36年10月に知多半田駅前にて創業。当時から手作りにこだわり地元に愛されていたが、平成10年に駅前開発と店舗老朽化のタイミングで現在地に移転してきた。近くには大型商業施設もあり多くの人が行き交う中での新天地で再出発となった。程なくサラリーマンを辞めた現代表の充氏が加わり、これからという時に父が突然、他界してしまった。お店を守るため母、奥さんと共に必死になって頑張り続けられたのも昔からの常連さんに「昔と同じ味、美味しいよ」と太鼓判を頂いているからだ。父から受け継いだメニューは沢山あるが、減らすことはあっても増やすことはないと言う。営業中は集中力が欠かせないので閉店時にはヘトヘトになる程である。
座敷を含め24席。ご主人は麺作りに専念し、奥さんは揚げ物を担当。定食の天ぷらは海老、茄子、さつまいも、ピーマンな
どを揚げたての熱々で提供。食欲が増してくる。これから寒くなる時期にはやっぱり食べたくなる味噌煮込うどん。鶏肉、油揚
げ、蒲鉾、長ねぎが入り、熱々の土鍋で提供される。八丁みそと白みそのブレンドで鶏肉の出汁も入って味わい深く美味しい。
うどんはお好みで固さが選べる。味噌煮込うどんと言えばやっぱりこの食感「かため」が好みの方は煮込み専用の生麺。
「やわらかめ」が好みの方は通常の茹麺を煮込み、もちっとした手打ちうどんの食感を味わえる。他にも乙川名物の「しっぽく
うどん」は味付けした里芋、人参、しいたけ、ねぎ、鶏肉をのせた昔から伝わるご馳走うどん。特に乙川祭りで食されてきた。
また、ごはんを、かやくご飯に変更することもできる。どれも美味しくメニュー選びで頭を悩ませてしまう。
日頃の多忙な時間から無心になりたい時、充氏は釣りで師崎まで出かける。釣ってきた魚をまかないに出して従業員さんにも喜ばれており、一石二鳥となっている。奥さんは以前勤めていた会社の同僚であり、今でも仕事のパートナーとして欠かせない存在である。今後もそれぞれの役割を大切にこれからも地域の人に愛されるお店として頑張り続けていく。 (取材:中村真由美)
住所/半田市乙川新町1-9
代表/杉浦 充
創業/昭和36年10月
営業時間/11:00~14:00 17:30~20:00
電話/21-6038
定休日/水曜日 ただし日、月、火は夜の部休み
2024年11月1日(金)
布施工場(東大阪市)で、ユーザーの要望に応じて、物質同士を反応させるサンプル作成が、社会人としての第一歩だった。新たな物質を作る面白さ、合成した物質を分析し新素材や最先端の『ものづくり』に触れ、ひいては社会貢献にもつながるこの仕事は性に合い、やりがいのある日々を送り、充実したスタートを切った。
「その後、福井工場開設に向けてのプロジェクトチームの一員として移設のための実験を重ねました。3年後の1993年、同工場の操業開始に伴い製造課に配属されました。入社5、6年目の私は、上司からの指導で製品を作る毎日は、チームで取り組む仕事で、『ホウレンソウ(報告・連絡・相談)』を大切にしてきました。仕事を任せてくれた上司との出会いは私の成長にもつながり、後年部下を持つようになった時もその上司に倣い、『部下の成長は仕事の一つ』として応援してきました」
福井工場操業開始までの3年間は仲間との関わりを重んじ、生まれ持ったコミュニケーション能力を存分に発揮した。同時に聴く力を養ったのもこの時期であり、恵まれた環境にいたと感謝する。研究室と製造現場で働く日々であったが、突如として営業課長(本社)の席が回ってきた。時はバブル期、好景気で注文に生産が追いつかず販売調整に苦慮し、原材料の値上げラッシュで商品価格の高騰が続いた。
「値上げ折衝行脚が始まりました。扱い商品を製造し現場を知っている強みがありましたので、論理的に説明するようにしてきました。値上げ折衝時、妥協点のすり合わせの権限は与えられていましたが、一円の値上げでも業績に大きく反映されます。権限を与えられることは嬉しい反面、責任の重さを実感し、やりがいを感じながらも、自宅では悶々とした時間を過ごしていました。ひたすら頭を下げて値上げに納得していただくことは非常に苦労しましたが、一番の思い出として残っています。営業にも慣れ、今後の対策を立てていた2年目に組織再編により異動になり、後ろ髪を引かれる思いで、寝屋川工場に赴任しました」
後に、様々な現場を経験し、寝屋川工場・福井工場長を経て、2022年2度目の半田工場に工場長として帰ってきた。同社の全3工場長に就いた初のケースで、他工場を知り尽くしているからこそ、半田工場の取り組みや改善に的確に対応した。1975年、市内日東町への企業誘致と同時に操業開始した半田工場は臨海部に立地し、施設の老朽化が最大の課題で、10年間ほどのスパンで整備計画に沿って工事を進めている。
「赴任時は整備計画が始まって3年ほど、全社で施設の老朽化は大なり小なり課題になっているので、目新しいわけではありません。しかし製品が売れ続けていく中で、生産プラントを一定期間停止して整備をするためのスケジューリングが難しく、信頼できる部下と話し合いながら進めています。私は常にみんなで話し、相談しながら、全員が納得する方向で物事を進めてきました。自らの意見を発言したり、相談できる環境作りに努め、人の話を聴く『傾聴』も私の仕事と考えています」
会社生活37年の間には、新製品の誕生、予測できない事態が勃発するなど様々な場面に遭遇してきた。生産現場で互いに意見を闘わせ、みんなで力を合わせる『ものづくり』は楽しくもあり性に合う仕事だった。反面、火災・爆発等の危険と隣り合わせという宿命は化学工場では避けられない。24時間体制で土日も関係なく操業を続ける中で、製造課長時代は連日連夜、緊張の連続だった。夜遅く電話がかかってくると不安に慄き、電話恐怖症になりそうだったと振り返る。
「工場長の仕事は通算11年目を迎え、達成感を感じながら日々の仕事と向き合っています。今年度末に定年を迎えますが、この会社に入って本当に良かったと思っています。会議所さんが事務局を務め、日東町内の企業で構成する『日東会』に代表幹事としても関わらせていただき、半田をより知ることができ、様々な業種の人と交流し、色々なことを学びました。
そして、これまでつくづく上司に恵まれた会社人生だったと感謝しています。私自身、多くの人に育てていただき、一番大切に考えている
『聴く力』が育ったのも、尊敬する上司との出会いがあったからこそです。人は仕事を通して成長し、成長に終わりはなく、成長した姿を見ることは嬉しいことです。社員を大切にして人財を育てることは、立場が上になればなるほど求められてくる要素だと思い、常に心掛けています。先輩たちに育てていただいた恩を、会社を背負ってくれる次世代の人を育てることでお返しする。それが今の私にとって最大の仕事だと思っています」
●ちょっと一息●
福井で3年、半田で3年目の単身生活です。自炊はしていないので、台所は綺麗です(笑)。福井時代は外食できるところは殆どなくコンビニ弁当という日が続きましたが、半田ではその点は助かっています。栄養補給は、会社の昼食時の仕出弁当に頼っています(笑)。また、私はインドア派で休みの日も自宅でテレビやYouTubeを観たり、気ままな単身生活です。趣味は寝ることです(笑)。
当社は定年後、再雇用を希望する場合は「採用地で勤務」という規定があります。これからのことはまだ考えていませんが、働くなら奈良の自宅から通うことになるでしょう。近くには孫もいますから、それもいいでしょうね。孫の成長は楽しみが尽き
ませんね。
1965年和歌山市生まれ、半田市在住。87年立命館大学理工学部化学科卒業。同年、大八化学工業㈱入社、大阪布施工場技術センター配属、福井工場、半田工場、本社等、寝屋川・福井工場長を経て、2022年現職。当所議員。
2024年11月1日(金)
『苦難は幸福の門』。その言葉を地で行くような道程でした。起業前はアパレル業界、不動産管理会社に勤務していました。不動産管理会社時代に、各地に多くの空き家があり、それらが壊されていくのを見て、空き家を活用した事業ができないかと考えるようになりました。また、全盲で知的障がいのある身内を支援してくれる施設が少なく、私自身も自分のことで精一杯だったため、十分に力になれなかったという苦い経験もあり、「人生最後の社会貢献をしたい」と、50歳の時にこの世界に飛び込みました。2018年に『(同)やさしい』を創業し、空き家を活用した精神障がい者・知的障がい者のための家庭的なグループホーム『ぬくもりのさと』を1年半で半田市、常滑市、武豊町に4箇所開設しました。急展開だったこともあり、従業員のマネジメント面をはじめ、様々な面で苦戦し、当時を思い返すと、まさに崖っぷちに立たされていました。福祉先進国・北欧にヒントはないかと情報収集を始めたところ、助け合いの精神が根付いている北欧の障がい者施設の取り組みをオンラインで学ぶ機会を得ました。通常では現地に行って視察するのが一般的ですが、コロナ禍もあり、すべてオンラインで学ぶことができました。私にとってはコロナ禍が功を奏した形になり、幸運な出会いとなりました。
北欧型福祉は、全ての市民が等しく社会保障の給付とサービスを受けられる特徴があります。また、北欧はIT先進国でもあり、この北欧型福祉とITを融合させ幸福度が高い北欧型の福祉事業『北欧型福祉モデル』(商標登録済)として動き出せたことで、崖っぷちから脱出することができました。グループホームに暮らす人たちの安心・安全な衣食住の完備(24時間見守り、看護師訪問、徒歩圏にメンタルクリニックあり等)と、働く場所の連携は重要で、2021年に就労継続支援B型事業所シャルール『㈱ぬくもりの光』もスタートしました。
日本では従来、人が仕事に合わせてきましたが、北欧型はその人の特性に仕事を合わせる考え方です。現在、様々な人たちとご縁をいただきながら、多様な分野で就労の場所を提供しています(水耕栽培、データ入力、動画編集、リサイクルショップの値札付け、草取り、米粉ドーナツやプリン・アクセサリーをマルシェに出店、ECサイトで高級食器・化粧品・雑貨等の販売、AIやメタバースの活用など)。自分の強みを生かし、自然体でリラックスして働ける場所を目指しています。安定した収入を得てより豊かに生きていくためには、まずはシャルール内での仕事を経験し、生活のリズムを整え、自立トレーニングのために施設外就労を経て、雇用契約を結ぶA型就労、一般就労への移行が理想的な流れです。その道のりは厳しいのですが、人は学ぶことにより成長します。学ぶ機会は、社会で人と関わることで得られ、それは施設外に多くあります。ステップアップのため、まずは施設外就労を目指しています。
また、近年、固定観念に縛られない自由で純粋な発想を表現する障がいのある人のアートが注目されています。有名ブランドがそのアートとコラボしてTシャツやトートバッグなどの商品化、販売をする例もあります。2018年から厚生労働省が障がい者の自立と社会参加促進を図るために『障害者文化芸術推進法』を施行しました。私自身、実家がアパレル会社だったこともあり、アートに魅力を感じ、障がい者アートを愛知県で普及するために名古屋、セントレアで『障がい者アート展』開催を目指してクラウドファンディングサイト「CAMPFIRE」にて今年8月から開始しました。また、10月には障がいのある人の芸術・文化活動を通じて、障がいのある人の社会参加と障がいへの理解が深まることを目指す活動『アール・ブリュット展示会』を瀧上工業雁宿ホール、半田市内のスターバックスで開催しました。多くの人にご来場いただき、障がいの有無を超えた交流を図り、障がい者アート普及の第一歩を踏み出しました。
今まで福祉の王道を走ることなく、自分の思う通りに動いてきました。元々私は福祉を学んできていないので、福祉への固定観念を持っていないからだと思います。そんな取り組みが珍しいのか、全国から視察に来ます。今日は山口県、昨日は東京から、福祉とは分野が異なる人(IT・建築関係など)も訪れてきます。メディアに取り上げていただいているのも(『週刊新潮』『産経新聞』『KENJA GLOBAL』ウェブサイト「ヒューマンストーリー」など)、私の取り組んでいる領域が広いからでしょう。
障害者差別解消法・障害者の地域移行支援の施行、SDGsへの取り組みなどで、障がいを持った人たちが少しずつ暮らしやすい社会へと行しています。世界的には、大病院や大規模施設の中で障がいを持った人たちが暮らすのではなく、町の中で多様な人々がともに暮らしていく、というのは当たり前の風景です。日本でもこの世界基準に沿っていく流れにより、最近では『ぬくもりのさと』のような家庭的な施設が街中に増えてきています。そして、知多半島の半田以南は空き家も多く、メンタルに関する大きな病院もあり、福祉を学ぶ日本福祉大学の学生さんもいて、人・ものが揃っている場所だと思っています。福祉に取り組む若い人たちと力を合わせて、全国有数の『福祉ビレッジ』の町としてのお手伝いをしていきたいと思っています。
■ 住所/半田市成岩本町1-21-2 ■ TEL/59-2525