半田商工会議所 THE HANDA CHAMBER OF COMMERCE & INDUSTRY

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そろばんを学びながら、育つ場所の提供

2025年7月7日(月)

河井速算塾  河井 美香さん

 家の片隅に母が教えている、そろばん教室があり『そろばん』は身近なものでしたが、それは母の仕事で私と関係ないものと思っていました。大学卒業後はOLをし、その後、結婚式などの司会の仕事に就きました。司会者として、多くのお客様のお話を伺っていくうちに、私の知らない世界や生き方が沢山あることに驚き、私自身『こうでなければいけない』という考え方に縛られていたと、幸せになれる道は人それぞれにあるんだ』と、生き方に対する視野が広がりました。また色々なものを見聞きし多くの方たちと接しているうちに、人の良心を育てるものはなんだろうと考えるようになり、それはやはり教育ではないか?私も人が育つ場所で仕事をしてみたいと考えるようになりました。
 でも何をしたらよいのかさっぱり分からないので、私はどこで育ったんだろうと思い返したところ、本が好きでよく入り浸っていた図書館だと思ったんですね。ちょうどその時、図書館司書の資格を取ったという人の話を聞き、大学に集中講座を受けに行きました。その中に『これからの学校に求める姿を、ファンタジーでも良いから書きなさい』というレポート課題があったんです。浮かんできたのは、私が母の教室を手伝っている時に相対していた子どもたちの姿でした。それで「すぐ隣にそろばん教室がある」と気づいたんです(笑)。母に「そろばんを仕事にしようと思うんだけど」と告げたら、とても驚いていました。私と一緒で、母も娘の仕事ではないと思っていたようです(笑)。
 今は河井先生(母)が青山教室、私が成岩教室を運営しています。昔ながらの寺子屋式のそろばん教室で、幼児から高校生までが在籍し一緒に学んでいます。異なる年齢の子どもたちが同じ空間にいて、ある子は暗算、ある子は割り算、初歩を習っている子もいれば、高段位を目指して練習している子もいて、その姿が自然にお互いの目に入ってくるような環境を大事にしたいので、あえてクラス分けをしないと決めています。生徒たちは珠算・暗算の検定試験、各種コンクール、読上算(暗算・英語読上算)、パソコンを使ったフラッシュ暗算などに取り組んでいます。テキストを自分で選んだり、読上算の練習の時には挑戦したい問題をリクエストして解いたりなど、生徒が「自分で決める」ということも大事にしています。5桁のみとり算を練習している子が「16桁の読上算をゆっくり読んで!」とか、段を練習している子が「一桁を円也なしで超超早く読んで!」とか、こちらが思いもつかないリクエストに驚きながら応えていると、子どもたち同士も影響しあって教室全体が飛躍するような経験も少なくありません。また、お迎えまでのちょっとした時間に、絵を描いたり折り紙を折ったり、積み木で遊んだり、ということもよくあります。最近ではそろばんイラストコンテストに応募するイラストを描く姿がよく見られましたね。無秩序ではいけないと思いますが、子どもたちが自由に発言したり発想できるような空気を作ることは心がけています。教室がそろばん学習の場であることはもちろんですが、人が育つ場を提供しているという側面も大事にしています。
 日珠連(日本珠算連盟)と全珠連(全国珠算教育連盟)に加盟しているのも育ちへの応援の一つです。日珠連の検定試験は掛け算、割り算、みとり算などを制限時間30分間で計算し、集中力・体力が求められます。それに対して全珠連は6~7種目を7分ずつ区切って計算するので、切り替える力が必要となってきます。得手不得手があるので、一つの選択肢ではしんどくなる子もいるため「2つあるけれど、どっちをやりたい?」と相談して、その子が手を伸ばした方を進めています。
 実はそろばんを教え始めた頃は、私の勉強不足や経験不足もあって子どもたちの行動や態度に悩むことも多く、『これは怒らないようになるための修行だ』と自分に言い聞かせていました。司会者時代に幸せになれる道は人それぞれと感じたように、私の見解に子どもたちを縛ってはいけないと反省することも多かったです。子どもたちは自分の道を拓いていく力を持っていると感じています。ただ、今は小さいので経験が浅くバランスが取れない時期で、そこをサポートしていくのが私たち大人の役目だと
感じています。時には「世の中にはこういうことはあってね」とルールや常識とされることなどは伝えていますが、「これは私の考えだけどね」とか「他の人の考えも聴いてみるといいよ」など、決めつけずに余地を残す言葉を添えるようにもしています。今は、「根気ありますね」とか「忍耐強いですね」と言われることもありますが、かつての修行が実を結んだのでしょう(笑)、そうであれば嬉しく思います。
 面白いことに、母と同じ仕事をしてからの方が親子関係は良好なような気がしています。小学時代から音楽の道に進ませたいと私はピアノ三昧の毎日で、いわゆる母娘の確執のようなものもあったのですが、今は仕事を任せられるパートナーであり、互いにリスペクトできる関係で、母にとって、私は『美香先生』になりました。かつてはやらされ感満載でピアノに向き合っていましたが、ピアノとそろばんは使っている脳がとても似ています。生徒の状態を把握しやすいのも、ピアノをやっていたからだと感じて
います。ここまで辿り着くのに、色んなことをしてきましたが、無駄なことはひとつもなかったと感じています。どんな時にも側に居続けてくれた母に感謝しています。


■《青山教室》半田市青山3-22-23 TEL:0569-23-0247
 《成岩教室》半田市仲田町1-35カーサエスペランサ401 TEL:090-3442-6186



予防の大切さ、介護されない身体づくり

2025年7月7日(月)

スマイルコア

【起業のきっかけ】
 2020年にオープンしたスマイルコア。元々、歯科衛生士として働く関さんが、自身の不調や将来の両親の介護を見据え、歯科の分野だけでなく全身の健康予防にも関心を持ち、リンパセラピストの資格を取得したことがきっかけ。資格取得当初は仕事にするつもりはなく、自分の体をケアするための知識として身につけようと考えていました。
 知識や技術を重ねていく過程で、リンパケアの施術を体験してくれていた友人から「調子がいい」「続けて施術してほしい」と言われたことをきっかけに、商売としてリンパケアのサロンを起業することを決意。ご両親が自営業だったこともあり、起業することに抵抗はありませんでした。加えて、歯科衛生士の仕事と両立する上で、どちらも中途半端にしないためにも起業が必要だと考えました。
【口内ケアとは】
 現在の事業内容は、リンパケアに加えて「口内ケア」にも力を入れています。口内ケアとは、口の中の筋肉をほぐす施術であり、口内の筋肉を緩めることで顎や舌で感じる痛みを軽減し、ストレスのないスムーズな動きを取り戻し、歯ぎしりやくいしばり、誤嚥などの予防(飲込みの改善)に効果が期待できるものです。
 「口内ケア」と聞くと歯や歯茎のメンテナンスを想像しがちですが、全く別物で、歯科医院ではあまり実施されない施術なのです。口内ケアとは何かを正しく伝え、その効果を実感していただくことに使命を感じています。
【お客様の声】
 口コミをきっけに通い始めるお客様が中心です。Instagramや公式LINEも活用し、イベントの告知や予約受付などを行っています。お客様の多くは女性で、特に40 代以上の、子育てが一段落し自分のケアに時間を使える方や、介護されない身体作りを目指す方が多いです。施術を受けたお客様からは「身体が軽くなった」「よく眠れる」といった声や、口内ケアによる症状改善の実感があるとのことです。
 そういった声を耳にするたび、自分が思っていたよりも悩んでいる人が多いこと、そして歯科衛生士として働くだけでは体験できなかったような、お客様の悩みに直接アプローチできる機会にやりがいを感じています。また、予防に繋がる仕事であることにも活力を感じています。
【マルシェを通じた学び】
 最近では、自宅で「お家マルシェ」も開始しました。同じ想いを持つ施術者が業種を問わず集います。お家マルシェは毎月第3日曜日、10時から16時までスマイルコアにて開催されています。子育てが一段落したり、仕事以外に居場所を求める人たちが新たに夢や目標を語れる場所にしたい。そして心身ともに元気になるようなポジティブな場所になればと思っています。ぜひお越しください。
 長い人生を楽しむためにも心身ともに健康で、介護されない身体を一緒に作っていきましょう。 ( 取材:加藤由香恵)

【住所】 半田市有楽町
【代表】 関 理恵  【創業】 2020年
LINE Instagram
詳しくは公式LINE
又はInstagramよりお問い合わせください。
 



大駒にしかできない仕事を目指して

2025年6月6日(金)

有限会社 大駒

㈲大駒は、創業149年を迎える歴史ある代々続く建築会社です。現在は5代目の榊原芳朗氏が代表を務め、若手大工の育成と、古い建物の保存・再生に力を注いでいます。
 同社の歴史は明治10年頃、芳朗氏の曽祖父・榊原為三郎氏が大工として創業したことに始まります。以降、祖父・駒吉氏、父・為吉氏と代を重ね、2001年には芳朗氏の入社を機に法人化し、㈲大駒を設立。2015年には現在の本社所在地へ移転し、芳朗氏が代表取締役に就任しました。
 芳朗氏は、刈谷市の白半建設㈱にて現場・営業・管理業務などを経験し、その学びをもとに家業への参画を決意。現在は新築およびリフォーム工事を中心に手がけていますが、住友林業ホームテックの指定工事店として、古民家の修復にも積極的に取り組んでいます。特に、知多半島に多く見られる「黒壁建物」の再生にも数多く携わっており、近年は歴史的建造物の保存に一層力を入れています。
 芳朗氏は語ります。「歴史的建造物には、その土地の文化や精神が宿っています。それを次の世代に伝え、視覚的にも残
すために、丁寧に保存していく必要があります。今後5年以内には事業承継も進めていきたいと考えています。」
 その事業承継の担い手が、次期後継者である榊原寛樹氏です。寛樹氏は碧南市の㈱梶川建設で土木・建築の現場経験を積んだ後、建築の仕事に魅力を感じ、2013年に25歳で入社。以降、リフォーム現場にて「見て学べ」の教えのもと、外注大工の補佐として約3年間実務を経験。現在も共に働く職人たちは55歳以上が中心であり、将来の職人不足の現実を実感した、といいます。寛樹氏は現在、当所青年部にも所属し、同世代の工事業者とのネットワークづくりにも取り組んでいます。
 芳朗氏と寛樹氏は「下請け仕事だけでは将来が厳しい。人と技術を育てることで、大駒にしかできない仕事を確立し、直接受注につなげていきたい」と語ります。その志のもと、若手大工の育成に本格的に着手しました。2018年には半田工業高校(現・半田工科高校)から卒業生を初採用し、以降も定期的に求人活動を実施。現在は3名の若手職人が大工見習いとして成長を続けています。
 入社後は、碧南市にある愛知建連技能専門校・木造建築科に、会社負担で週1回・3年間通学させ、実技と知識の両面から育成を行っています。同校では、現場作業では教えにくい伝統的な木造技術の習得が可能で、大工技能士資格の取得支援も受けられます。
 近年は、木材不足(ウッドショック)、新型コロナウイルス感染症の影響、2024年からの労働環境の変化(長時間労働の是正、人手不足、コスト増)など、建設業界は大きな転換期を迎えています。大駒でも新築工事の依頼が減少する一方で、リフォーム需要が拡大。現在、売上の約半分が口コミや紹介による直接受注となっています。
 2018年入社の若手社員(現24歳)は、今では現場を任されるまでに成長。新築ではあまり使われなくなった「曲尺(さしがね)」「鑿(のみ)」「鉋(かんな)」などの道具も使いこなし、次世代育成にも携わっています。
 同社が手がけた修復実績としては、半田市亀崎の伊東合資の酒蔵(本蔵および土蔵レストラン)、市内寺院の手水舎、本社建物(築60年の古民家をリフォーム)などがあります。
 寛樹氏は将来について、次のように語ります。「今後は若手社員に、大工と現場監督を兼任する“プレイングマネージャー”として、着工から完成まで一現場を任せていきたいと考えています。また、多機能工として大工以外の技術も身につけてもらいたい。私は営業・設計にも力を入れ、現場経験を活かして間取りや建築パースなどを用いた提案を通じ、お客様に完成イメージをしっかりお伝えしていきたいと考えています。最後に、今後も『大駒にしかできない仕事』の実現に向けて、確かな技術と熱意で地域社会に貢献していきます」( 取材:中村稔晴)

【住所】半田市清城町1-12-15
【代表】榊原 芳朗  
【TEL】0569-22-6240  
【休日】土・日  
【HP】https://daikoma.jp



大駒にしかできない仕事を目指して

2025年6月6日(金)

有限会社 大駒

㈲大駒は、創業149年を迎える歴史ある代々続く建築会社です。現在は5代目の榊原芳朗氏が代表を務め、若手大工の
育成と、古い建物の保存・再生に力を注いでいます。
 同社の歴史は明治10年頃、芳朗氏の曽祖父・榊原為三郎氏が大工として創業したことに始まります。以降、祖父・駒吉氏、父・為吉氏と代を重ね、2001年には芳朗氏の入社を機に法人化し、㈲大駒を設立。2015年には現在の本社所在地へ移転し、芳朗氏が代表取締役に就任しました。
 芳朗氏は、刈谷市の白半建設㈱にて現場・営業・管理業務などを経験し、その学びをもとに家業への参画を決意。現在は新築およびリフォーム工事を中心に手がけていますが、住友林業ホームテックの指定工事店として、古民家の修復にも積極的に取り組んでいます。特に、知多半島に多く見られる「黒壁建物」の再生にも数多く携わっており、近年は歴史的建造物の保存に一層力を入れています。
 芳朗氏は語ります。「歴史的建造物には、その土地の文化や精神が宿っています。それを次の世代に伝え、視覚的にも残
すために、丁寧に保存していく必要があります。今後5年以内には事業承継も進めていきたいと考えています。」
 その事業承継の担い手が、次期後継者である榊原寛樹氏です。寛樹氏は碧南市の㈱梶川建設で土木・建築の現場経験を積んだ後、建築の仕事に魅力を感じ、2013年に25歳で入社。以降、リフォーム現場にて「見て学べ」の教えのもと、外注大工の補佐として約3年間実務を経験。現在も共に働く職人たちは55歳以上が中心であり、将来の職人不足の現実を実感した、といいます。寛樹氏は現在、当所青年部にも所属し、同世代の工事業者とのネットワークづくりにも取り組んでいます。
 芳朗氏と寛樹氏は「下請け仕事だけでは将来が厳しい。人と技術を育てることで、大駒にしかできない仕事を確立し、直接受注につなげていきたい」と語ります。その志のもと、若手大工の育成に本格的に着手しました。2018年には半田工業高校(現・半田工科高校)から卒業生を初採用し、以降も定期的に求人活動を実施。現在は3名の若手職人が大工見習いとして
成長を続けています。
 入社後は、碧南市にある愛知建連技能専門校・木造建築科に、会社負担で週1回・3年間通学させ、実技と知識の両面から育成を行っています。同校では、現場作業では教えにくい伝統的な木造技術の習得が可能で、大工技能士資格の取得支援も受けられます。
 近年は、木材不足(ウッドショック)、新型コロナウイルス感染症の影響、2024年からの労働環境の変化(長時間労働の是正、人手不足、コスト増)など、建設業界は大きな転換期を迎えています。大駒でも新築工事の依頼が減少する一方で、リフォーム需要が拡大。現在、売上の約半分が口コミや紹介による直接受注となっています。
 2018年入社の若手社員(現24歳)は、今では現場を任されるまでに成長。新築ではあまり使われなくなった「曲尺(さし
がね)」「鑿(のみ)」「鉋(かんな)」などの道具も使いこなし、次世代育成にも携わっています。
 同社が手がけた修復実績としては、半田市亀崎の伊東合資の酒蔵(本蔵および土蔵レストラン)、市内寺院の手水舎、本社建物(築60年の古民家をリフォーム)などがあります。
 寛樹氏は将来について、次のように語ります。「今後は若手社員に、大工と現場監督を兼任する“プレイングマネージャー”として、着工から完成まで一現場を任せていきたいと考えています。また、多機能工として大工以外の技術も身につけてもらいたい。私は営業・設計にも力を入れ、現場経験を活かして間取りや建築パースなどを用いた提案を通じ、お客様に完成イメージをしっかりお伝えしていきたいと考えています。最後に、今後も『大駒にしかできない仕事』の実現に向けて、確かな技術と熱意で地域社会に貢献していきます」  ( 取材:中村稔晴)

【住所】半田市清城町1-12-15
【代表】榊原 芳朗  
【TEL】0569-22-6240  
【休日】土・日  
【HP】https://daikoma.jp



チームとして闘う

2025年6月6日(金)

日本車輌製造株式会社 輸機・インフラ本部 衣浦製作所長 清水 勇治氏

モノづくりの世界に憧れ地元企業の同社に入社し、衣浦製作所・生産管理部門に配属された。1989年は『冬の時代』を乗り越えた建設業界では、今では想像もつかないような勢いでインフラ整備が進み、全国でビッグプロジェクトが立ち上がった年でもあった。
 「その2年後、1991年の入社直後から橋梁工場の当製作所で、レインボーブリッジ、明石海峡大橋、名港トリトン、東京湾アクアラインなど、次から次へとビッグプロジェクトに関わりました。設計から架設まで5年以上かかる大規模な橋梁工事はジョイントベンチャー(JV)として取り組み、一丸となって地図に残るものを造り上げることは楽しく、達成感、やりがいもありました。また、他社の人と仲良くなって飲みに行くことも多く、仕事はみんなの力が集結してこそと体感し、社会人として恵まれたスタートを切りました」
 1896年創業の同社(衣浦製作所は50周年)は国内で創業時の社名を守り続けている数少ない企業であり、社会の求める基幹施設づくりを仕事とし、使命としてきた。鉄道車両の製造販売を目的として設立し、その技術は産業輸送用機器、橋梁建設、建設機械、環境機器、ハイテク農業プラントへと裾野を広げてきた。氏は4年ほどの本社勤務(名古屋市)以外を、橋梁・輸送機器部門(高圧ガス等を運ぶタンクローリー、産業車両)の生産管理者として品質・コスト管理を担当し、仲間と共に経営効果を上げるために尽力してきた。
 「現場での思い出や時代背景は印象深く残っています。東京湾アクアラインは衣浦製作所の岸壁で組み立て出荷し、本当に大変な作業でした。明石海峡大橋の建設中に阪神淡路大震災が発生し、対岸に避難していた人がテントで暮らしていた情景は今も瞼に浮かびます。豊田大橋建設も忘れられない現場です。建築家・黒川紀章氏が、恐竜が一歩踏み出したイメージのスケッチを描き『橋にして!』と始まったプロジェクトでした。橋は左右対称が基本形状と考えられている中で、バランスを欠きながらも美しく、橋全体が斜めに傾いたような構造は難解でやりがいのある仕事でした。衣浦大橋にも関わり、地元の橋は普段生活をしている中で利用する機会も多いので、思い入れも深くなります。今思い起こせば、どの現場も苦労の連続でしたが、自分の仕事が地図に残る、それだけでも大きな誇りになっています」
 『橋は造ったら地域の人に絶対喜ばれる』若い頃に諸先輩方から言われた言葉であり、その使命感を身を持って実感した。いつの間にか橋を造るという仕事が好きになり、楽しみながら仕事に熱中した。その後、輸送機器部門にも関わり、橋にはない魅力に惹かれ、どの現場でも仕事に没頭し、やりがいを感じた。2019年貴重な経験と統率力を持って製造部長として三度目の衣浦製作所勤務となり、昨年7月現職に就いた。
 「5年前に輸送機器部門の生産拠点を豊川製作所からここに移転・統合し、 “『運ぶ』と『架ける』、積み上げた比類なき実績”を強みとする衣浦製作所としてリニューアルしました。各部署で製造するものはそれぞれで、お客様も公共・民間と異なっていても、モノを作る精神に変わりはなく、 QCDS(品質、コスト、納期、安全)のレベルアップが重要です。どれも工事管理の大切な基本ですが、最も優先すべき指標は安全と品質、そしてお客様との信頼関係であり、それらの厳守が私の使命です。
 今は直接現場に関わっていない寂しさを感じながら、ここで製作し色々な分野で活躍している製品全てに関わっていると、自分なりに解釈しています(笑)。当社のロゴ入りのタンク車がまちで走っているのを見ると嬉しくなり、今年2月に種子島宇宙センターでA3ロケットが打ち上げられ、当社で製造した『大型自走式キャリア』が、発射台までロケットを運ぶ姿がテレビで映し出された時も嬉しくなりました(笑)」
 同社は今年、大型自走式キャリアの自動運転システムを開発した。運転技量が求められる狭い場所においても、高精度に自動走行できるシステムを実現し、超重量物を運ぶ企業で、それぞれの目的のために活用されることが期待されている。人手不足に悩む業界からも大きな期待が寄せられており、創業以来129年の時を経て培った技術は、産業の発展を支える物流と交通の分野にも活かされ、進化し続けている。
 「モノづくりの世界に入って34年、常に当事者意識を持って仕事をしてきましたが、つくづく一人でやれる仕事は高が知れていると思い、課題を共有しチームとして闘ってきました。特に役職に就いてからはチームで闘う必要性を強く感じるようになりました。入社して5、6年経った頃、仕事には厳しく、社員一人ひとりに声を掛けてくれたのは当時の衣浦製作所長でした。私は、今そのように実践できているか?と問うことがあります。そうありたいイメージはありますが、まだまだですね」

●ちょっと一息●
アウトドア派で、子どもが独立しカミさんと愛犬と一緒に月に2回ほどキャンプに出かけています。自然の中で食べたり飲んだりするのが好きで楽しみです。家では料理はしないのですが、バーベキューはお手のもので、外ではよく働きます(笑)。カミさんにお付き合いしてもらえないと困りますからね(笑)。
 子ども会の会長をしていた時に誘われて、お祭りにも関わるようになり山車を曳いています。楽しいですよ。子どもにお囃子や太鼓を教える役目も頂戴し、春祭りの時期は毎日忙しく、今夜(取材日:4月21日)も教えに出かけます。刈谷市生まれの私もすっかり阿久比町民になりました。

1968年愛知県刈谷市生まれ、阿久比町在住。91年岐阜大学工学部機械学科卒業。同年日本車輌製造㈱入社。衣浦製作所配属。茨城・大利根工場、衣浦製作所、本社、豊川製作所を経て、2019年衣浦製作所製造部長。24年現職。当所常議員