半田商工会議所 THE HANDA CHAMBER OF COMMERCE & INDUSTRY

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お客様のどんなニーズにも対応!

2019年11月18日(月)

ミロク工業(株)

同社は、トヨタ自動車や国土交通省に関連した各種設備の設計・制作をはじめとし、製缶・配管工事、油空圧機器の販売、各種省力機械の設計、メカトロ機器の販売など、幅広い事業を展開している。
 中でも「トヨタ自動車や国土交通省に関連した各種設備の設計・制作は、当社の要ともいえる事業で、トヨタ自動車関連や国土交通省事業の制作に裏打ちされた当社の技術は、自信を持って提供することができる。」と?野社長は語る。
 お客様の求める機能・性能を実現するため、プランニング・仕様検討から納品まで、確かな技術をもって実践している。
 「お客様のもとで当社の製品がお役に立つことが、私たちの喜びであり、トータルサポートが当社の心得です。」と?野社長は語る。
 同社は、平成4年8月に半田市浜田町にてミロク工業として個人創業し、平成14年4月にミロク工業(株)を設立、その後、建設業(管工事業と機械器具設置工事業)の許可を取得した。また、業務拡大とともに工場が手狭になってきたため、昨年9月に半田市八軒町に本社並びに工場を移転した。
 現在、日本人従業員は10名であるが、平成28年よりベトナム人の技能実習生を受け入れ、現在では技能実習生2名・エンジニア3名を雇用しており、製缶・機械加工・組付などを担当している。人手不足が叫ばれる中で、外国人を積極的に雇用している。「短期的で安価な労働力」としてではなく、「中長期的な会社の担い手」としての受け入れを企業の基本姿勢としている。こうした受け入れが進めば、外国人労働者の受け入れは社内に多様性をもたらすなど、企業活動の活力源となり、生産性の向上につながっていくと思われる。外国人が働きやすい環境づくりに力を入れており、教育指導を手厚くするだけでなく、休日には日本人従業員を交えて食事会、誕生日会、岡崎の花火見学を実施するなど、日本での生活を全体的にサポートしている。充実した余暇が仕事の励みにもなっている。「ベトナム人は真面目に仕事を覚えてくれ、仕事の習得も早い。」と?野社長は語る。日本人従業員が教育係となり、現場で必要な知識や技術を指導している。来年初頭には、さらに3名増やす計画。手厚い支援で外国人の継続的な雇用につなげる狙い。将来的には、ベトナムのハノイに自社工場を建設して、海外進出も視野に入れている。
今後の同社のご活躍にご期待いたします。
(取材:米持三幸)

所在地/半田市八軒町89−1
代表者/?野 昇
創 業/平成4年8月
TEL/24−7788
URL/http://miroku-ind.com/index2.html
所在地:
代表者:
TEL:(0569)-
定休日:
営業時間:時〜時、時〜時(オーダーストップ)



宝石を遺す・守る・繋ぐ

2019年11月18日(月)

(株)喜石 新美 恵美さん

あっという間の25年余りでした。故郷、群馬県の宝石店で出会った社長(ご主人)と職場結婚して、半田の人となりました。長女が生まれた頃(1997年)は、市内にイオンやアピタなどの大型店舗が進出し、出店した当店も多忙を極めていました。子育てと仕事に追われ、今思い返してもその当時のことがあいまいな記憶です。商売をしているから、嫁だからと自分を奮い立たせて生活をしてきました。その頃は自分に厳しかったかと思います。今はちょっとね・・・(笑)。
 当店は今年創立85周年を迎えました。その歴史を若い時は深く考えたことがなかったのですが、5年前の80周年頃から、その重さをさらに実感しています。代替わりで私たちがやっていくという責任感と、子育てが一段落したのが大きな要因だと思いますが、改めて自分の仕事として捉えようと決心しました。スタッフとの関わり、商品に向き合う気持ち、改めてチャレンジすることばかりでしたが、責任は社長と私にあると、心が引き締まる思いでした。精神的な負担も大きくなりましたが、社長と向かう方向は同じであると信じ、二人三脚の第一歩がスタートしました。
 私はその頃に宝石を遺す、繋ぎたいという想いで『喜石』を創立しました。日本での宝石流通は、主に、洋服を着るようになった戦後から始まります。ニイミ時計店も義母が昭和30年代から宝石の販売を始め、多くのお客さまにご愛顧をいただきました。数年前よりその世代のお客さまが宝石を手放したり、次の代に譲るようになり、買取やリフォームがブームになってきました。本来そのままで価値があるのもが壊されてしまったり、いらないと言われるのが忍びなくて、『宝飾品の遺品、生前整理』をメインにして「喜石」と名付けました。
 ジュエリーは昔から人生の節目やご自分の転機の時に求められている方が多いものです。そしてお子さんの記憶の中には「いつもお母さんがつけていた指輪」と、刻まれています。そんな想いがいっぱい詰まったジュエリーを使わないからと、処分してしまうことが悲しいんです。大切な思い出として、次世代の方に受け継いでいただけたらと思っています。大切さは石の値段ではなく、購入に至った想いや、一緒に過ごした記憶と考えています。その想いを知ったら、それがステキな宝物になるはずです。
 販売時には商品名、価値などは明記されていますが、遺品となればそれらの情報も皆無となります。そのジュエリーが作られた時代、作り方などを感じながら時代背景を窺い知ることが出来ますので、持ち主の心の声を聞くことに繋がると考えています。お話を聞いていただき、取っておくべきか否かを判断されれば良いと思っています。どうしても処理したい、リメイクしたいと思われるのであれば、ニイミ時計店にお任せください。ジュエリー全般について責任を持ってお引き受け出来ますから、ジュエリーの遺品整理は私に与えられたお役目と思っています。でも本当は、生前にお話をお聞きしたいですね。ご本人から直接その想いを聞けば、受け継ごうという気持ちも芽生えてくるのではないでしょうか。宝石を遺す・守る・繋げていきたい。私の熱い想いです。
 私の好きな言葉は『一石二鳥』(笑)。自分も皆さんも喜べるのがしあわせです。自分でイベントの主催をすることで、楽しんでいただくのも好きなのですが、近年は、地元の商店街のイベントで、ハロウィンに参加して、目いっぱい扮装したり、大きなイベントを手伝わせてもらったりして楽しんでいます。今年のクリスマスには、ニイミ本店で宝塚OBの方をお招きしてのショーを企画しています。私も無理を言って、隅っこに混ぜていただいたりして参加します。そんな血を継いだのか、娘も離れて住んでいるのに、同じようなことをしているようです。いつか私のジュエリーも思い出とともに、娘に譲れたらと思っています。

■所在地/半田市南末広町120-1  
■TEL/090-8139-9318  
■営業時間/10:00〜19:00  
■定休日/水曜日  
■http://www.tsunagu-kiseki.jp 
■資格/JJAジュエリーコーディネーター、ジュエリーモデルカウンセラーカウンセラー、相続診断士
■イベントのご案内/喜石の万華鏡講座 11月23日(土) 
宝石を使った万華鏡作り。使わなくなったジュエリーなどをお持ちください。
場所:ニイミ時計店 参加費:16,000円(税込み、万華鏡袋付、天然石プレゼント)



クラシティにピアノ寄贈

2019年10月8日(火)

(株)マツイシ楽器店

 (株)マツイシ楽器店(松石奉之社長)は、名鉄知多半田駅前の商業施設クラシティ1階に、いつ、誰でも自由に弾ける「ストリートピアノ」を寄贈しました。
 9月28日(土)には寄贈式が行われ、半田市在住のピアニスト沢田蒼梧さんがピアノ開きとして美しい音色を響かせました。
 このストリートピアノは、9月7日(土)、8日(日)に開催された二ッ坂カーニバルで来場者の方々によって知多半島をテーマに色とりどりのイラストが描かれています。
 設置場所はクラシティ1階の「cafe CITA」横です。

(株)マツイシ楽器店
住所/半田市天王町2-27-6
TEL/(0569)21-3158




香鑪峰(こうろほう)

2019年10月2日(水)

昔ながらの中華の味が自慢!

 知多半田駅東口から北側通り2本中に入った通り、ビル1階に香鑪峰がある。看板も大きく、駅前なのに駐車台数も確保されているので安心して来店できる。店内に入ると厨房で中華鍋を振るうご主人と接客担当の奥様、夫婦二人三脚で店を切り盛りしている。現在地では平成4年2月から営み、場所柄、多くのサラリーマンの胃袋を満足させてきた昔から親しまれてきた中華料理屋に会える。
 元々は、名古屋の中華料理屋でご主人・奥様が修業していた。縁あって、昭和48年に半田市岩滑で雇われ店長として働き始め、2年後に単独経営となった。その後、今の場所に移転して、彼是ご夫婦とも19才から働き、間もなく50年が経とうとしている。香鑪峰の店名は名古屋の師匠が付けてくれた中国の山の名前だそうだ。
 チャーハン、ラーメン、餃子等、皆が好きなメニューがある。長く愛されているのは、昔の味を守っているからである。香辛料は余り使わないのが特徴である。日本人の口に合った昔ながらの中華の味が自慢で、「ごくごく普通の味」とご主人は謙虚に言う。ただ、そこには誤魔化しはきかないので、自信の表れが窺える。
 岩滑の当時に来ていた子供が大人になり、懐かしく寄ってくれたり、出張で半田に来てたまたま寄ってくれた人が、味を気に入ってくれ、また半田にみえた際に立ち寄ってくれる。味を気に入ってくれ、懐かしく寄ってくれることがあったりする。
 長年、営んでいると、お客様の動きや地域の変化を感じると言う。今はホテルに宿泊しているお客様が多いと言う。また、新聞等で会社の異動などの情報収集をされたりして、会話の足しとして活用している。
 中華鍋を振りすぎて、痛みの限界を超えているが、なんとか続けることができている。来店客の多い日や少ない日がある。多い日は店内のお客様に迷惑がかからないよう心掛けてサービスをしている。ただ、勘違いをされてしまうことがあるようだ。夫婦でケンカ言葉で会話しているけど、決してケンカはしてない。お待たせしたくないので、どうしても言葉が荒くなってしまうみたいだ。そしてお客様にたいして敬語は使わない。なぜなら対等であるから。
 「うまいし気楽なのがいい、落ち着く」の言葉がうれしいと言う。込み合っている場合もあるので、事前にTELをいただくと助かる。繁忙期には娘さんやお孫さんも手伝いにきてくれている。19才から一緒にいて飽きませんかと質問したら、「おらなぁ- おかしい」との即答返事。常連客のためにもまだまだ中華鍋を振り続けます。         
 (取材:中村真由美)

【住所:】半田市泉町24みどりハイツ1F
【代表者】河野秀行 【創業】昭和48年11月
【営業時間】11:00〜13:30 17:00〜20:30
テーブル席 24席、駐車場5台
【定休日】 火曜日 【TEL】:24-9166
所在地:
代表者:
TEL:(0569)-
定休日:
営業時間:時〜時、時〜時(オーダーストップ)



己の存在価値を問う

2019年10月2日(水)

JFE物流中部株式会社 代表取締役社長 酒井 忠之氏

 生まれ故郷の北の大地から飛び立ち、33回目の秋を半田の地で迎える。その間、福山、新潟、倉敷で様々な秋、多様な職種に関わり、『己の存在価値、何のために今自分がここにいるのか?』と自身に問いかけ、向き合って来た。
 「大学で金属材料を学び、日本鋼管(現JFEスチール)に入社しました。以後、当時、新材料と言われていた溶融シリカ(ガラス組成耐火物)や、特殊鋼(チタン・クラッド・ステンレス)をはじめとする厚鋼板の製造に携わって来ました。温度、成分、圧延方法などの微妙な差異によって、厚鋼板そのものの性質、品位も異なってきます。誰の手にかかっても安定して高品位の製品が出来、いかにコストを下げるか等の実機でのプロセスの確立は技術屋として腕の見せ所です。時間を忘れて仕事に没頭し、厚鋼板との関わりは印象深い仕事の一つです。そんな時も存在価値を自身に問いかけ、今の私が直面する課題に真摯に向き合うことの重要さを実感しました」
 ダイナミックで、カタチに残るものを作りたいと鉄鋼メーカーに入社し、30年間勤務。2016年全く畑違いでもあるJFE物流西日本副所長(倉敷市)として着任した。
 「モノづくりの現場から離れ、対象もモノから人へと移行しました。前職は商品技術部長として、会社と客先の橋渡しという対外的な仕事だったこともあり、違和感なくその世界に溶け込めました。また、歳月と共に現場から遠ざかり、マネジメントの世界に入って行ったので、人との繋がりが重要なその業界に自然に順応出来たのかもしれません。現場の方が面白かったですが(笑)。私自身はその土地の風土や習慣に比較的すんなり適応できる方で、どこに行っても戸惑いもなく、仕事や生活に向き合い楽しんできました」
 昨年4月に半田勤務になった。大学のヨット部の先輩、後輩が半田高校の出身で、半田という地名は知っていたが、初めて半田の地を踏み、地域性や会社の風土に触れ、トップとして考えることも多いようだ。
 「現職に就き、悠々と流れてきた歴史に培われてきた風土によって、考え方や求めるモノが醸成されていることを肌で感じています。そう思うのは、上司をサポートとする副所長の立場から、陣頭指揮を執る立場への変化かもしれませんが、与えられた状況の中で、最大のパフォーマンスを引き出すことを使命と考えています。また、私は走りながら考えていくタイプで、方向転換のタイミングの難しさも感じています。肩書きならではの孤独感を味わっていますよ(笑)」
 そんな中で、初めての単身生活を送る。帰宅後は1日15キロを目安に走り、食事を作って食べる。タイトなスケジュールの毎日で、寂しいと感じた単身生活も瞬く間に1年過ぎ、生活のペースも掴めてきたようだ。また、410回を数えた献血にも足繁く通う。
 「お役に立てればと始めたのですが、届いた採血結果で深酒をしていないかチェックしています。健康管理の一助となり、私も役立たせてもらっています。リタイア後は『故郷、札幌で日本語教師』も視野に入れていますが、今は山積する課題改善に向けて精一杯の毎日です。少しでも業績向上のお手伝いができればと、日々真剣勝負です」

1961年北海道札幌市生まれ。86年北海道大学工学部卒業。同年日本鋼管(現JFEスチール)福山製鉄所入社。2002年福山厚板工場工場長。12年JEFスチール福山厚板部部長。14年西日本鋼材商品技術部部長。16年JFE物流入社、西日本副所長(倉敷)。18年現職(JFE物流取締役)。半田市在住。当所議員。当所交通運輸港湾部会副部会長。