半田商工会議所 THE HANDA CHAMBER OF COMMERCE & INDUSTRY

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お墓は故人の居場所であり、家族の拠り所

2026年6月1日(月)

有限会社丸山石材店 丸山 勲生さん 

石垣などを積む『石積み』を祖父が始めたのは1946年。その後、父が墓石の加工・販売に業務転換して今に至ります。長男の私に「後を継ぐのか?」と聞かれ「やります!」と、その一言で私の人生は決まりました。大学を卒業後、石を卸す商社で石のあれこれを学び、葬儀や仏壇・墓石販売会社で営業マンとして修行し、25歳で当社に入社しました。
父は私のポストとなる、営業部を立ち上げ、2人の社員と手分けして知多半島全域を回る日々が始まりました。葬儀場や葬儀看板(その頃は喪主名、住所が記載されていました)から情報を得て、葬儀が終わって3日後くらいに、そこにお訪ねして墓石のカタログをお渡ししていました。20年ほど前は葬儀後に、仏壇屋や香典返しのためギフト屋さんが訪問することは当たり前の時代でしたが、玄関先の呼び鈴を押す時はドキドキでした。修業時代の先輩はお客様の気持ちを第一に考えていました。そこで学んだことが、私の営業の基礎になっています。「イメージ通りのお墓が出来た」と言われることや、お礼の手紙をいただくことは、嬉しくやりがいを感じる時です。
 当社(本店)は墓地(市営北谷墓地)の近くにあり、亀崎・知北(東浦)支店も同様で「墓地の近くにあればお墓が必要になった時に気づいてもらえる」という父の考えです。また、父の代から日本で育ち産出された『国産墓石』を使用しています。風土に合うため耐久性も優れており、最後に入る所は日本の石で出来たお墓の方が安らぐだろうと仰る方もいらっしゃいます。存命中に子どもたちに負担をかけたくないと、自分や家族のためのお墓、寿陵墓(じゅりょうぼ)を建てられるケースは、近年増加傾向にあります(長寿や子孫繁栄を願う縁起の良いお墓とされます)。また、デザイン墓石とか洋碑と呼ばれている、欧米風の墓石も人気を集めています。石やデザインに懲り、刻む文字も『絆、心、空、ありがとう』など、その方の想いが込められています。墓石を作る機械の開発や研磨加工などに必要不可欠な技術力の向上によって、よりご希望に併せて作製することが可能です。当社は職人の手により、真心込めて丁寧な作業でお墓作りをしています。
 お墓を取り巻く諸事情も変化し、当社の事業内容もお墓参り代行、お墓の掃除、墓石クリーニング・リフォーム、除草作業、防草施工など多様化しています。墓石を隅々まで知り尽くしたプロの手で作業しますので、お墓のことなら何でも安心してお任せください。5月9日からは、仏花の販売も始めています。また、5月30日から6月30日まで『墓石ご相談会』を開催します。お墓開きは祝い事と言います。お気軽にいらしてください(本誌、裏面広告をご覧ください)
 『石に触れていただきたい』という想いで、『はんだふれあい産業まつり(所属する青年部ブースで子ども向けに実施)』の他、会議所主催の『はんだオープンファクトリー』、『HANDA NOBEL』で、お墓に文字を刻む技術を活かして、サンドブラストのワークショップを開催しました。当社では15センチ角の研磨した黒い石の板に砂を高速噴射し表面を削って洗浄・研磨・装飾して作品として完成させます。カッターを使用するため、小学校高学年以上のお子さんが対象となりますが、親子連れ、大人の方など多くの方々に参加いただきました。表札にされる方、オブジェとして家に飾られる方様々ですが、完成した作品を嬉しそうに抱えて持って帰られる姿を見ると、開催して良かったと思える瞬間です。これからも色々なイベントに参加し、多くの皆さんに石に触れて、石の魅力を体感していただきたいと願っています。
 父が急逝して私が後を継いだのは29歳の時で、もう17年経ちました。お墓事情も時代に応じて様々な変化をしてきましたが、特に近年は激変しています。入社した20年ほど前には半田市近隣では市営墓地が足らなくて、抽選だった時もあったようで、『墓じまい』という言葉を聞く時代が到来するなんて想像も出来ませんでした。納骨をせず、手元に置いておきたいと仰る方もいらっしゃいます。その気持ちは分かりますが、お墓を建て納骨することは一つの区切りであり、新たに出発する時だと考えています。亡くなった方の居場所となり、残されたご家族が何年もお参りを続け、拠り所になるお墓を建てることに携わる仕事は私の誇りです。これからも葬祭墓石ディレクターとして、皆さんに喜んでいただけるようなお墓を建てていきたいと思います。

奥様の亜由美さん(取締役)

 主人と義母と私、3人で仕事に携わり、主人は営業と墓石の設置、義母は経理全般、私は墓石や花立てに刻む花のデザインを担当しています。以前は蓮や菊が一般的でしたが、今は桜、鈴蘭、向日葵など、故人のお好きな花を要望される方が多くなってきました。私も提案させていただきながら、よりお客様のお気持ちに沿うよう努めています。
 「介護生活は大変でした」「こんな辛かった思い出があるのよ」と故人とのお話しをされる方がいらっしゃいます。私は耳を傾けることしか出来ませんが、いつかそういうお話を、笑い話として語っていただける日が来ることをお祈りしながら、皆さんの想いが多く詰まったお墓になるようお手伝いをしています。

■ 半田市柊町2-66-1        
■ 営業時間/9:00~17:00(全店)
■ 定休日/木曜日(知北支店のみ営業)  
■ TEL/0569ー22ー2884㈲丸山石材店HP



贈るのは果物ではなく、「想い」そのもの

2026年5月7日(木)

フルーツショップカミヤ (㈱神谷商店)

■全国へ価値を届ける贈答品店への進化
 半田市で歴史を重ねた果物店が、従来のあり方を一新し、贈答品専門店として生まれ変わりました。「私たちは果物を売りません。『想いの形』をお届けします」。新たな歩みを始めた同店の目指す姿を、代表の東哲也氏はこの言葉に凝縮させています 。

■徹底した「差別化」と「本質」へのこだわり
 現在、日常的な果物はスーパーやコンビニエンスストアでも手軽に手に入るようになりました。そうした時代の流れの中で、東氏が導き出した答えは、徹底的な「高級贈答品」への特化です。カミヤが取り扱う果物は、市場でも最高級とされる「特選」や「秀」といった等級の中でも、さらに選び抜かれたものばかりです。しかし、東氏は「高い仕入れ値の、美味しいフルーツを並べるだけでは不十分だ」と断言します。
 「私たちが目指しているのは百貨店レベル、あるいはそれを超える品質です。贈った方が誇らしく思え、受け取った方が驚き、感動する。その体験こそが、私たちが提供する価値なのです」

■細部に宿る「おもてなし」の精神
 そのこだわりは、果物そのものに留まらず、包装や演出の隅々にまで及んでいます。店内を覗くと、そこには従来の果物店のイメージを覆す光景が広がっています。
 一つひとつ丁寧にラッピングされたリンゴ、高級和菓子を思わせる趣のある仕立て、そして重厚感のあるオリジナルの木箱。リボン一つ、シールの位置一つに至るまで、スタッフ全員が「どうすれば贈り主の気持ちがより美しく伝わるか」を試行錯誤し、磨き上げています。
 例えば、スイカ一玉であっても、カミヤの手にかかれば芸術品のような装いへと変わります。こうした徹底的なこだわりが実を結び、かつては三越などの高級百貨店で購入されていたお客様が、今ではカミヤを選んでくださるようになっています。

■半田から全国へ。広がる「カミヤ」の価値
 202525年12月の移転・再始動以来、カミヤは日々進化を続けています。店舗での対面販売に加え、現在はオンラインストアの構築も進めており、半田の地から全国の法人・個人のお客様へ、その価値を届ける準備を整えています。また、地域との繋がりも大切にしており、2026年4月からは半田市の婚姻届提出者に贈られる結婚祝品(カタログギフト)にも参画しています。人生の門出という最も大切な場面で選ばれる店でありたい。そんな願いが、着実に形になりつつあります。
 「昨日と同じことをしていては、成長はありません。毎日変化し、進化し続けることでしか、お客様の期待を超えることはできない」と語る東氏。「果実ギフト専門店 カミヤ」が届けるのは、旬の香りと共に、言葉では言い尽くせない感謝や敬意といった「目に見えない想い」です。大切な誰かを想うとき、真っ先に顔が浮かぶ場所。そんな究極の贈答品店を目指し、カミヤの挑戦はこれからも続いていきます。  (取材:藤井悠美)


【住所】半田市宮本町6-213-1
【代表】東 哲也
【営業時間】10:00~18:00
【TEL】23-1318
【定休日】不定休 




交通事業者としての使命を果たす

2026年5月7日(木)

知多乗合株式会社 代表取締役社長 近藤 博之 氏

交通・運送・不動産・レジャー・流通産業など多角的な企業展開に関心を持ち、1989年名鉄グループの中核的企業の名古屋鉄道㈱に入社。大学で専攻した地球物理学関連の就職を視野に入れたこともあったが、考えた末に、地元、名古屋で社会人の第一歩を踏み出した。
「乗り物が好きだから鉄道会社という思いもありました。当時の研修期間は3年間、新岐阜駅(現名鉄岐阜駅)で駅員としてスタートし、車掌、サービスエリアのレストランや旅行センター勤務などであっという間に1年は過ぎて行きました。それまでの“2年目から関連会社へ研修出向”という流れから、助役として駅勤務というコースも始まっており、新一宮駅(現名鉄一宮駅)で助役として勤務しました。当時の一宮駅は名鉄とJRの共同使用駅であり、出札・改札業務が複雑で、多くのJRの駅名や運賃制度、切符の種類を覚えるなど苦労もありました。その上、駅長の代理を勤める職務に向き合うことは大変でしたが、若くて多少の徹夜くらいは平気であり、非番の日にはそのまま駅の人たちと色々な所に遊びに行き、楽しい時代でもありました」
 1992年鉄道事業本部(本社)に異動し、その業務は運輸省(現国土交通省)の窓口のような役割もあり、国会が始まれば、運輸省からの質問に対応するため夜中の2時、3時まで電話の前で待機も多くあった。他にも、いざ運賃改定業務が始まると、その状態が半年以上続くこともあった。その後、名鉄全体の予算編成や実績の分析など、多くの部署の勘定科目ごとに分析・把握する業務に就いた。ありがたいことに理系出身でもあり、数字や分析に関する関数に対する大きな拒否感もなく、当時、普及途上であったコンピュータも学生時代から使っていたこともあり、その経験に大変助けられた感もあったと語る。
 「その後のICカードmanaca(マナカ)の導入も印象深く残っています。名古屋市との共同開発の窓口、ICカード発行会社(現㈱エムアイシー:旧名鉄ICカード㈱)の立ち上げ・登記といった業務も担当しました。知らないことばかりで、夜間、資料に「なんだ、これ?」という部分を見つけるたびに、翌日の朝一番で公証役場、東海財務局などに顔を出したりしていました。その後、当地域内のICカードとの相互利用サービスを開始するために調整・協議の相手は広がり、更に全国相互へと拡大していきました。manacaは後発だったために、やり甲斐というより、考える間もなく追われるまま、全国の流れに付いていくことで必死でした。それまで限られたエリアの仕事が多かったのですが、付き合いの範囲は仕事の拡がりと比例して全国に広がりました。ここで多人数での調整というものも経験することになりました。普段は友好的なお付き合いも会議では忖度なく、「沈黙はYES」を体感しました。100人ほどが一堂に会することもあり、課題解決は早いのですが、『NO』ははっきり言うべき、代表として会議に出席する責任を再認識しました」
 2012年に名鉄バス㈱に出向。以降、予算・企画・運行と幅広く関わり、安全統括管理者の責務も負った。当時、地域公共交通会議が制度化されて間もない時期で、構成員となる地方公共団体、学識経験者、住民代表等と直接協議する場に、公共交通事業者として参加したことは、大きな財産になった。現在も半田市地域公共交通会議の委員として、住民生活に必要な輸送の維持・確保、公共交通の利便性増進のために尽力する。
 「現職に就いてこの6月で1年になります。現時点で知多バス運行路線をすべて乗っているとは言えず、範囲を知多半島に広げると、恥ずかしながらまだまだです。会社の状況はと言えば、当然ながら、ドライバー不足は一番の問題です。路線や運行本数を維持することに苦労している中、お客様の要望にどう応えていくのかは大きな課題です。コミュニティバスのエリア増や増便のご要望にも応えきれていないのが実情で申し訳なく思っています。また、近年は貸切バスでの遠足も少なくなり、バスで出かけるという選択肢を持たない方も増えていると感じています。まずは、子どもさんにバスの中に足を踏み入れていただくのは大切なことと考えています。色々な知多半島中のイベント等でも、ご協力出来たらと考えています」
 これまでの多くの人々との出会いは財産であるが、それぞれの局面でのふるまいは百人百様である。当たり前のことだが、仕事モードの時は、忖度なし、明確な意思表示が必須であると強く経験した。その後は、部下にも同行を求めたり、時には代理としての出席依頼時も、「想定外のことや不明な点があった時、『NO』だけは言ってほしいと伝えていた」と強調する。
 「昨年1月末に本社機能をクラシティに移転し、目の前に知多半田駅を眺めることが出来ます。この付近には名鉄グループ企業(名鉄知多タクシー、名鉄イン知多半田駅前)があり、委員としても中心市街地の活性化を心待ちにしています。まちの景観が変われば人の流れも変わってきます。人が動くのは血液が流れるのと同様で、まちにとって重要です。そのためにどうすべきなのか?様々な課題が山積する中で、交通事業者として、その一助となるように切望しています」
 目の前の仕事に直向きに取り組むその姿勢は、どんな立場になっても変わらない。

●ちょっと一息●
 多くの男の子のように、乗り物が好きということもこの世界に入った一因でもあり、今も乗り物好きです。名鉄バスに携わってから年に1、2回はバスツアーに参加し、関西万博もバスツアーを利用しました。乗っているだけで目的地に連れて行ってくれて、駐車場を探す手間もなく、車内でビールも飲め(笑)、楽です。名古屋から東京までのバス移動も、景色を眺めながら、6時間という時間も何の苦にもなりませんでした。
 半田は名鉄主要駅の知多半田駅があり、当社赴任前から数えきれないくらい来ているまちです。今で言う『映える』場所がいっぱいあるまちと感じています。雨上がりの運河沿い倉庫群を見た時はギョッとするくらい綺麗で、感動しました。まずは知多バスが運行するまちをしっかり見たいと歩いています。時間があれば目的地に向けてアプリに身を任せたり、道を一本外したりして歩いています。先日、沿線ではないのですが「上野間から富貴までなら、すぐ着けるだろう」とたかを括って夕方5時くらいから歩き出しました。山の中の道を案内され、スマホの明かりを頼りに歩きながら「この先に道はあるのか?遭難したらどうしよう」とスマホの電池切れを心配しながら、富貴に着いた時は生きた心地がしませんでした。色々な場所を見てみたい、努めて好奇心を持つように心がけています。(写真は好奇心の一環で、遊べるものは触ってしまいます。日間賀島のブランコは対岸まで飛ぼうと漕いだり、LUUP試乗も一番乗り!)

1965年名古屋市生まれ、在住。89年京都大学工学部卒業。同年名古屋鉄道㈱へ入社し、新岐阜駅に配属。92年鉄道事業本部(本社)、2012年名鉄バス㈱課長として出向。部長・取締役・常務を経て、2025年6月現職。半田市地域公共交通会議委員、半田市中心市街地活性化協議会知多半田部会員、半田交通安全協会会長など多数。当所常議員。




歴史を途絶えさせない

2026年5月7日(木)

㈲紀伊國屋本店 間瀬 亜里紗さん  

 二人姉妹の妹として育ち、おやつはいつも亀崎饅頭でした。当店の看板商品である「亀崎饅頭」は、地元では「かめまん」の愛称で親しまれています。1818年(文政元年)から酒元饅頭の製法で作り続け、1890年(明治23年)、半田で開催された第1回陸海軍連合大演習に行幸された明治天皇に献上しました。当時としては大変名誉なことでありました。家庭のおやつとしても身近に親しまれるお菓子であり、時間をかけて炊き上げたこし餡はやさしい甘さに仕上げています。
 大学に進学し、損害保険会社に就職。当時は、働き続けるならキャリアを積んでいこうと考えており、家業を継ぐことは考えていませんでした。当店は1689年(元禄2年)創業で、これからも当たり前に続いていくものだと、どこかで漠然と思っていました。転機となったのは、長年働いてくれている職人さんが怪我をされたこと、そして高齢となった父が一人で饅頭を作り続けていけるのかと不安に感じたことでした。その時、会社を辞めて跡を継ごうと決断しました。父は昔から、私の決めたことに口を出さない人です。一方で母は、「今までのキャリアを捨ててまで手伝わなくていい」と反対していました。それでも、今の私があるのはこの店があったからこそ。この店を守り続けていくことが私の使命だと決意しました。
 会社を辞めるとき、後悔だけはしたくないと決めていました。しかし、尊敬していた上司から「会社としては残念だが、間瀬の人生を応援している」と声をかけていただいたときは、思わず涙があふれました。多くのことを教えていただいた感謝と申し訳なさと共に、いつか上司の耳に自分の取り組みが届くよう、精一杯頑張ろうと思いました。
 昨年4月には愛知県菓子専門学校に入学し、日中は家業に携わりながら、夜は週3回通学する生活を送り、今年3月に卒業しました。洋菓子と和菓子の両方を学び、お菓子に関わるさまざまな立場の仲間の中で、級長としてクラスに関わりながら、切磋琢磨した充実の1年間でした。卒業時には成績2位の名古屋市長賞をいただくことができ、自信につながりました。
 現在は父や従業員さんと共に伝統を守りながら、新しい商品づくりにも力を入れています。「わらび餅ドリンク」や餡子が苦手な上司からの一言をきっかけに考えた、若鮎の生地で胡桃とアーモンド入りの求肥を包んだ「折々」など、自分が食べたいと思うものを形にしながら試行錯誤しています。血の繋がった上司である父に対して、つい言いたいことを言ってしまい、感情をあらわにしてしまうこともあります。一方で、私がやりたいことに対して静観し「やってみればいい」と言ってくれる父の存在は、静かに支えてくれるとても心強い存在です。父に追いつき、そして追い越すことが、今の目標の一つです。接客はテキパキとしてタフな母が担っており、父とのバランスの良さを感じています。
 私が店に入ってからは人手不足も少しずつ解消し、イベント出店の機会も増えてきました。2月に半田赤レンガ建物で開催された「HANDA NOBEL」では、所属している商工会議所青年部の仲間から「来たよ」と声をかけていただき、お買い求めいただけたことがとても嬉しく、励みになりました。4月には大府市のマルシェにも出店しました。これからは待っているだけでなく、自ら外に出て、身近な店として知っていただけるよう取り組んでいきたいと考えています。
家業に関わって1年半ほどですが、重い材料を運び、夏は暑く冬は寒い現場での体力勝負の日々です。学生時代はバレーボールを続けていたので、その点は自信があります。和菓子屋のイメージにとらわれず、新しい風を取り入れようと髪色も変えてみました。また、SDGsを意識し、残ってしまった商品を自分が食べ続ける動画をインスタグラムで発信していますので、ぜひご覧ください。
振り返れば、これまで多くの方に支えられてきました。地元の方々の集まりである「亀崎会」に参加しており、ゴルフを楽しみながら交流を深めています。父と同世代の方が多い中で、「継ぐことにしたんだね。応援するよ」と声をかけていただけたことは、とても嬉しかったです。趣味のゴルフも含め、第3木曜日を楽しみにしています。
また、跡取りや事業承継に関わる人が集まる「跡取会」にも参加しています。同じ立場の仲間と話すことで「もっと頑張ろう」と前向きな気持ちになれる、大切な場所です。いつも学ばせてもらうことが多いので、いつかは自分も与える側(GIVE)になりたいと考えています。4月にはコココリンの「100人カイギ」でお話しする機会もあり、自分の経験が少しでも役に立てていたら嬉しく思います。
前職で教わった「仕事は明るく楽しく、されど厳しく」「指先は自分自身に」といった言葉は、今も自分の軸となっています。前職でMYパーパス(人生の目的・使命)を考える時間があり、そのときは明確に答えられませんでしたが、今は「歴史を途絶えさせないこと」だと、自然とそう思えるようになりました。
この店を支えてくださったお客様がいたからこそ、今の私があります。亀崎に、半田市に、知多半島に興味を持つ人が増え、足を運んでいただけるよう、自分がそのきっかけの一つとなれるように、これからもこの伝統と味を守り続けていきたいです。

㈲紀伊國屋本店
■ 半田市亀崎町3-96  
■ 営業時間/8:00~18:30 
■ 定休日/木曜日    
■ TEL/0569-28-0064






建築士の視点と表具師の技が創る、「魅せる」リノベーション

2026年3月31日(火)

KANEMITSU株式会社

半田市美原町に拠点を構える「KANEMITSU㈱」。同社は先代から続く表具・内装業として1967年4月に設立した地域に密着した事業所だ。現在は一級建築士と一級表具技能士の二つの国家資格を保有し、設計から施工まで自社一貫体制で行う「町のリフォーム・リノベーション屋さん」として、多くの信頼を集めている。今回は、代表の福添信一氏に話を伺った。


■「建築士の眼」と「職人の技」が呼び覚ます、古民家の真価
 同社の最大の独自性は、仕上げの美しさを追求する「表具師」としての感性と、建物の構造を知り尽くした「建築士」の視点が、高次元で融合している点にある。福添代表のモットーは「見えない下地工事からの徹底したこだわり」だ。この強みが最
も発揮されるのが、昨今需要が高まっている古民家再生の分野である。
 単に古さを繕うのではなく、建物の「素顔」を読み解くことから同社の仕事は始まる。立派な梁や柱、開放感のある吹き抜けを、解体プロセスの中で丁寧に見極め、再び主役として表舞台へ引き出す。例えば、塞がれていた天井を取り払い、あえて構造材
を露出させることで、現代の建築にはない圧倒的な重厚感と開放感を創出する。
 こうしたダイナミックな空間構成に加え、一級表具技能士ならではの緻密な装飾技法が、事業所に唯一無二の価値を与える。本物の「もみじ」を漉き込んだ和紙や、光の陰影で表情を変える「透かし襖(すかしぶすま)」、意匠性の高い障子紙など、伝統的な建具や素材を自在に組み合わせる提案は、まさに同社の真骨頂だ。他店との差別化を図り、自社のブランド価値を空間で表現したい飲食店やサービス業のオーナーにとって、この「技術の掛け算」によるリノベーションは、強力な武器となる。

■BCP対策の新提案、耐震シェルター「剛建」
 昨今、事業所にとって避けて通れない課題が「地震対策」や「BCP(事業継続計画)」の策定だ。そこで同社が特に注力しているのが、愛知県内の鉄工所が開発した耐震シェルター「剛建」の設置提案である。「剛建」は、既存の建物内に「頑丈で安全な部屋」を確保するという発想から生まれた木造軸組み構造のシェルターだ。その最大の特徴は、木造の軸組み柱で組まれた本体の上に、角鋼管を配置したハイブリッド構造にある。これにより、万が一、2階部分が崩落して乗っかってきても、その荷重を強固に支え、内部の安全を死守する仕組みとなっている。
 「建物全体の耐震改修には多額の費用と時間がかかるが、『剛建』なら最短1日での施工が可能。業務を止めることができ
ない店舗や、重要書類を守りたいオフィスにこそ、この『目に見える安心』を導入してほしい」と福添代表は語る。設置に伴う床の補強工事も一級建築士の知見を活かして自社で完結できるため、導入のハードルは極めて低い。

■地域の「困りごと」に寄り添うパートナーとして
 同社は長年、地域に深く根ざし、一人ひとりの暮らしの困りごとに真摯に向き合うことで、揺るぎない信頼を築いてきた。現在は一般家庭向けのサービスが中心だが、今後はその培われた確かな技術を、地域の事業所や店舗が抱える課題解決にも広く展開していく構えだ。
 一級建築士としての専門的な知見と、職人の細やかな感性を融合させ、働く空間の安全性や資産価値をリノベーションする。地域の「生活」と「事業」の両面を支える真のパートナーとして、同社はさらなる進化を続けていくだろう。建築士の視点と表具師の技が創る、「魅せる」リノベーションをぜひ事業所に取り入れてはいかがだろうか。(取材:濱島千尋)


【住所】 半田市美原町1-228
【代表】 福添信一  【TEL】 0569-28-3110